ディヌ・リパッティ最後のリサイタル
このごろ

いつにもまして
とりとめもなく日々が過ぎる
ほぼ毎日のようにたっぷりの時間のなかで
空を見ながら過ごしている
ねばならぬ仕事は大体忘れたように
作業台のはしっこに積んでおく

思い立つとそればかり繰り返す
この数日はディヌ・リパッティの
1950年9月16日フランス・ブザンソンでの
最後のリサイタルのCDばかり聴いていた

ディヌ・リパッティはルーマニア生まれのピアニスト
愛妻マドレーヌとスイスに亡命後
類い希なテクニックだけでなく、深い美しさを持ったピアニストとして
世界中の賞賛を得ていた

だが、彼は不治の難病に罹っていて
リパッティも周囲の人も医者も
これが最後の演奏になるとわかっていた
歩くこともおぼつかないまま演奏会場に着き
何本もの点滴を受けながら
舞台に上がった

その時の演奏が録音されて遺っている
「ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル」

バッハのパルティータ第1番
モーツァルト ピアノソナタ第8番
シューベルト 即興曲第3番 第2番
ショパン 13のワルツ 

ショパンのワルツは14番まであるけれど
最後にのこした第2番を演奏することはもう出来なかった

リパッティはその年1950年12月2日に33歳の若さで亡くなった

1950年という年は僕が生まれた年でもある
僕が生まれたのは8月5日
その年の6月25日に勃発した朝鮮戦争は
北朝鮮の侵攻の勢いが韓国南端の釜山にまで及び
僕が生まれたその頃も
参戦した米軍・国連軍との激烈な攻防が繰り返されていた
すでに南北双方で数十万人の犠牲が出ていただろう

韓国で生まれ、若くして日本に渡ってきた僕の父は
待ちに待った嫡男の誕生を
どんな思いで受け取ったのだろう

9月16日
リパッティがブザンソンで最後のリサイタルを開いたその日
韓国では15日だが
米軍の精鋭、第1海兵師団、日本に駐留していた第7海兵師団が
ソウル近郊の仁川に上陸
韓国軍7万人とあわせて大規模な反撃がはじまった・・・

世界は広いものだと思う
東洋の小さな半島では同じ民族が
国連軍の名のもとに多国籍の人々をも巻き込み
激しい憎悪を掻き立て殺戮を繰り返し

西洋の小さな田舎町では
人間がなし得る最良の音楽行為が行われていた

リパッティが1950年に亡くなったということは
単なる偶然だけど
彼のピアノを聴いていると
生きてあることの喜びとさびしさと・・・
自分の生とか死とかなにかを重ねてみたくなるのです

もし、自分にとって最後の一枚はと訊かれたら
迷わずリパッティ最後のリサイタルを挙げると思います

いまは、便利なyoutubeというものがあって
リパッティの最後のリサイタルを
演奏順に聴くこともできます
http://star.ap.teacup.com/stravinspy/16.html

これをyoutubeにまとめてUPしてくれた方、本当に奇特な方です。
僕の持ってるCDには入ってないのですが、
ショパンのワルツ2番は力尽きて弾けなかったものの、
最後の最後アンコールにバッハのカンタータ「主よひとの望みの喜びよ」を弾いたそうです。
Youtubeにはこの曲のスタジオ録音盤も入っています。
よかったらみなさん、聴いてちょんまげ!

最近すこし関わっているチベット問題について言えば、
1950年という年は中国がチベット侵略を始めた年でもあります。
なんか、大変な年に生まれてこんなトッチャン坊やでいいのだろうか・・・。

ちなみに僕の叔父、父の弟は1953年朝鮮戦争が休戦になる直前、
江原道の戦闘で27歳・独身のまま命を落としています。
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by kuukuu_minami | 2009-09-21 16:35


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