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3月11日のあとの日記より
東日本大震災で被災されたすべてのみなさま、心よりお見舞い申し上げます。
復興までの道のりは長く苦しいものになると思いますが、一歩ずつ確かな時間を積み上げていってほしいです。非力ながら自分に出来ることをしていきたいと思っています。

この間、mixiでは何度か日記をアップしてきましたがこのブログには反映させていませんでした。

時系列が前後するかも知れませんがいくつかの記事をまとめて掲載いたします。
また長くなってしまいましたがちょこちょこ読んでいただければ嬉しいです。
なお、ブログ中に見ていただきたいサイト、youtubeの URLを載せていますが、それをクリックしてもページが開かないときはお手数ですが、URLをコピーして検索して見てください。


3月23日の日記より

何度も書かせていただいてますが
毎週水曜日に通ってるH福祉園にきょう行って来ました。

11日の地震が起こったときはパニックになった子もいたようですが
いまそのことを覚えてるのかいないのか
みんなきわめて平穏に過ごしています。

それがたまらなく愛おしく慰めになります。

マイミクのkarikoさんが紹介していた山之口貘の詩「羊」を読んで
福祉園のYくんのことを思い出しました。
彼は重度のダウン症の子ですが
ときどき洩らす秘めやかな笑みは
「羊」の笑みなんじゃないか?

絵はY君が描く絵をモチーフにして月桃が描いた「ユメミテル」です。

 「羊」
           山之口貘 

食うや食わずの
荒れた生活をしているうちに
人相までも変って来たのだそうで
ぼくの顔は原子爆弾か
水素爆弾みたいになったのかとおもうのだが
それというのも地球の上なので
めしを食わずにはいられないからなのだ
ところが地球の上には
死んでも食いたくないものがあって
それがぼくの顔みたいな
原子爆弾だの水素爆弾なのだ
こんな現代をよそに
羊は年が明けても相変わらずで
角はあってもそれは渦巻にして
紙など食って
やさしい眼をして
地球の上を生きているのだ    

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3月25日の日記より

海外で報道されている写真です。
karikoさんから教えてもらいました。

http://www.boston.com/bigpicture/2011/03/japan_-_new_fears_as_the_trage.html

東京にいれば不安は不安でも、友人と会っちゃ酒が飲めて
いつも以上にアホな冗談まき散らしていられます。

きょうこの写真見てはじめて大泣きしてしまいました。
オレたち無力過ぎます・・・。

3月26日の日記より
地震の次の日だったと思いますが
うちの人と
宮澤賢治が生きてたらどうしてるかなと
話し合ったことがあります

「きっとオロオロ倒れるまで避難所を回ってるよね・・・」

これもkarikoさんが引用している詩です。
宮澤賢治は大好きでこの詩も読んだことがありました。

 一人づつぶつかつて
 火のついたやうにはげまして行け

でも、ここまで読んだら一気に涙があふれてしまいました。
おっさん!泣いてどうすんじゃ?!
このところ涙腺がゆるんで困ります、がんばらないと!


作品第1088番  
           宮澤賢治

                 
もうはたらくな
レーキを投げろ
この半月の曇天と
今朝のはげしい雷雨のために
おれが肥料を設計し
責任のあるみんなの稲が
次から次へと倒れたのだ
稲が次々倒れたのだ
働くことが卑怯なときが
工場ばかりにあるのでない
ことにむちやくちやはたらいて
不安をまぎらかさうとする
卑しいことだ
    けれどもああまたあたらしく
    西には黒い死の群像が湧きあがる
    春にはそれは
    恋愛自身とさへも云ひ
    考へられてゐたではないか……
さあ一ぺん帰つて
測候所へ電話をかけ
すつかりぬれる支度をし
頭を堅く縛つて出て
青ざめてこはばつたたくさんの顔に
一人づつぶつかつて
火のついたやうにはげまして行け
どんな手段を用ひても
弁償すると答へてあるけ

(宮澤賢治の詩はこのサイトでほとんど読むことができます)
http://www.ihatov.cc/poems.htm
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3月28日の日記より

ちょっと前の日記の
海外メディアの流している写真映像を見て
「オレたち無力すぎる・・・」って書いてしまいましたが

無力には違いないけどできることはないか?
みんなそう思っていると思います。

で、とりとめなく思いついたこと。

子どもが好きで、わりと垣根なく子どものなかに入っていけるので
友人たちとグループ組んで被災地の子どもたちのために
絵本や紙芝居、人形劇なんかを見せてまわるミニ・サーカス隊をつくる。
そこには、ミュージシャンもダンサーも随時加わってもらう。
ワークショップだってできますね。

ギャラリーでの震災支援チャリティー展覧会に積極的に参加する。
決まってるのは
5月2日〜8日 恵比寿のギャラリーMalle

まめ蔵での経験を活かして
避難所近くで「掘っ立てカレー屋」を開き安〜く提供する。
作り方をどんどん教えて地元の人の開業支援をする。
それで例えば宇都宮が餃子の町だったら
三陸はカレーだっぺ!みたいなことできないか・・・。(夢でか!)

あとはまめ蔵の募金箱にどんどん入れてもらって
どんどん寄付する!

まめ蔵にいらしてチョーダイ!(宣伝は大事!)

いま、ネットで放射能を除去分解するという
ひまわりや菜の花のニュースが出まわってますね。
ひまわりはひとつのニュースソースからどっと広がって
「どうかな?」という感じですが

チェルノブイリの「菜の花プロジェクト」のレポートは
とても興味深いです。
http://www.chernobyl-chubu-jp.org/pg156.html

ネパールでも菜の花=からし菜の黄色い畑が広がってましたが
黄色に秘められたパワーは心にもすっと届きます。

これからは黄色を多用して絵を描くか!
無力だけど少しならなにか出来るかも!

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4月5日の日記より

おととい盛岡と仙台の絵本プロジェクトに送った絵本の箱を
きょう仕分けしてくれた盛岡の高校2年生の女子から
びっくり嬉しいメールが届きました。

サイン入りの自分の絵本もかなり入れたんだけど
たまたまその絵本やサインを見て
送り主が本人だってわかり
その場所でボランティアしてた人たちに伝えてくれたらしい。

みんなすごい喜んでくれたそうです。
きっとHPを探してメールくれたんだろうと思います。

こんなことってあるんですね。
この前書かせてもらった避難所を回るサーカス隊についても
具体的な展開がありそうなんですが
現地の若者の助言も受けられそうです。

こんなアホなおっさんでも人に喜んでもらえると
涙ちょちょぎれてしまうのでありました。

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まゆきすとさんの日記を引用させていただきます。
まゆきすとさんは15年くらい前に富士通から出版されたCD-Rom版『銀河鉄道の夜』で作画・南椌椌、音楽まゆきすとさんとして制作に関わった者同士です。

以下まゆきすとさんの日記より

東北のご当地ソングというと演歌が多い。
演歌でないものというと、さとう宗幸の「青葉城恋歌」が定番だが、先日も路上ライブで歌ってみたのだが、七夕の季節の歌というのもさることながら、歌の最後が「あの人はもういない」というのが、こういうときにはどうなんだろう、と考えてしまった。

ほかに何かないか、と思いめぐらしてたどり着いたのが賢治だった。
童話作家にして詩人の賢治は音楽にも造詣が深く、自らの童話や戯曲のための歌を自ら作っている。多くは賢治が口ずさんだものを後から誰かが採譜したものであるという。

「花巻農学校精神歌」は、同校の教師であった宮澤賢治が生徒たちのために作った詩に、音楽の心得のある教え子が曲をつけたものであるという。これ も口述で伝えられたため、採譜されたものには6/8拍子版と4/4拍子版がある。今回作成したムービーは、個人的な好みで6/8拍子版を採用している。

http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1704082568&owner_id=94229

この歌、童話のための歌と大きく違って、歌詞が難解である。実は私もよくわかっていなくて・・・今後、私なりの解釈をつづって行くので、「違うよ」という方がいらしたら、ぜひご指摘いただきたい。

私が今回この歌をムービーにした理由は、この歌に「太陽の恵みを受け、それを活かして作物を育てる農業の中にこそ、人間の真実がある」という賢治の熱い思いを感じ取ったからである。

この地震から福島核発電所をめぐる一連の動きの中で私は、故・高木仁三郎先生のことをたびたび思い起こしていた。
高木先生は原子力の専門家の視点から、その危険性を訴え、脱原発運動に自ら先頭に立って尽力された。1995年の御著書で既に福島原発の危険を訴 えられていたことを思うと、東京電力、核発電推進勢力の官僚や政治屋たちが先生のご懸念に耳を傾けなかったことは、それ自体が犯罪であると言わざるを得な い。

先生が核問題のほかに造詣が深かったのが賢治だった。反核の訴えの中でもたびたび賢治の作品にふれ、賢治に関する著書も執筆された。その活動は賢治研究者の間でも高く評価され、1995年の宮澤賢治イーハトーブ賞を受賞された。

いま「精神歌」を読み返してわかるのは、発電も含めた核廃絶を夢見ていた高木先生が、その向こうに描いておられたのが、この世界なのだということだ。そこに、今この歌を発信しようと考えた意味がある。(つづく)

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「I LOVE TIBET」の長田幸康さんが紹介してくれたチベット人の作家の追悼の詩

東日本大震災の直後、青海省在住のチベット人の作家らによる追悼の詩が寄せられた。
作家たちに創作を呼びかけたのは、チベット現代文学作家の故トゥンドゥプゲ (don grub rgyal) の弟にあたるロブサン・チュゲ (blo bzang chos rgyal) 氏である。
届けられた詩は全部で9編あるが、そのうちの2編を以下にご紹介したい。
なお、詩のチベット語の原文はチュゲ氏の運営するウェブサイト上で閲覧が可能となっている(http://www.rangdrol.net/taxonomy/term/8)。


災害に遭われた日本のみなさんへ
タニ・ジンパ作

今夜、私は何を書いたらよいのでしょうか?
憐れみと愛情を引き裂いた、この地震という災害
突然の雷が落ちたその瞬間
わたしたちはどこに逃げたらよいのでしょうか? あなたはなぜ我々を襲ったのですか?
私の穏やかな家は唐突に持ち去られてしまいました
かけがえのない兄弟たち
そして、年老いた父母
彼らを無辺世界のどこへ連れ去ったのですか?
ああ、私の故郷そして家族、友人
私がこの海の底にいたなら、
なんとしてでも探し出してみせるのに
澄みきった海の、たった一度の高まりで
黄金より大事な魂たちが
青空にかかっていた虹のように消え去りました

私の心友である日本のみなさん
私は今宵、あなた方の道が見えるように
バターランプをともしました
地震で命を落とした朋友のみなさんが安らかな眠りにつくことができますよう
何万ものバターランプで道を照らし、
祈りの言葉を捧げて、
旅立ちをお見送りいたします

(翻訳:海老原志穂)


この地震の中で
チャントク・チゴル作
―日本の地震に際して

希望のついえたこの小さな世界で
発展の道を進んできたある国で
突然の暗闇のもと
泣き叫び苦しみを訴える声
痛みと涙
骨を折られ傷つけられた何万もの人々
家族と死に別れた人々
街をさまよう人々

子供たちの泣き声の中で、親たちが呼ぶ声を聞いたか?
泣き崩れた妻が、夫を探す姿を見たか?

人々の生活を揺るがした
われわれ人類への試練は一度だけではない
唐山 玉樹 日本

親ならだれでも我が子をいつくしむ気持ちがあり
子供ならだれでも親を慕う笑顔がある

人生には喜びもあれば悲しみもある
この世には畏れもあれば愛もある
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※訳者注:「唐山」とは1976年7月28日に、中国河北省唐山市付近を震源として発生した唐山大地震をさす。
「玉樹」とは、2010年4月14日に中国西部、青海省玉樹チベット族自治州玉樹県で発生した青海地震をさす。

(翻訳:海老原志穂)
by kuukuu_minami | 2011-04-17 01:25


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