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引き出しの中の35年前。
引き出しを整理してたら35年前の写真がゴソッと出てきました。
その中からとくに懐かしい青春の3コマを酔った勢いで本邦初公開であります。

ちょうど35年くらい前、ボクが21才のころから四国は徳島県の祖谷(いや)地方の小さな集落・釣井というところに頻繁に通うようになりました。きっかけは当時出会ったばかりのアレックス・カーという慶応の留学生だったアメリカ人に誘われたことでした。

アレックスは日本の古い佇まいを残す田舎が大好きで、とくに当時まだ日本の秘境と言われた四国の祖谷に心底惚れ込んでしまい、学生の分際で釣井の山に面した絶景土地付き築200年くらいの茅葺きの廃屋を大枚(小枚?)32万円で買って、人の住めるような家ではなかったものを卒論を抱えてアタフタしてたこのボクを籠絡して筆頭助手に仕立て、一夏をいやはやてんこ盛りのあり得ない追憶の夏を演出してくれたのです。そのおかげでその年はボクの卒論は1ページも進まず、留年せざるを得なかったというありさま。

アレックスはその後京都に住んだり、タイに住んだり玉三郎の親友になったりして、新潮社から出した『美しい日本の残像』という本で新潮学芸賞かなんかとったりした男で、この本はボクらがいっしょに過ごした祖谷のことにも多く触れております。内容に関してはボクとしては言いたいことも多々ありますが、日本を愛しすぎたガイジンにありがちな可愛い勇み足だと本人にはなかなか言えませんが・・・。興味のある方はアレックス・カーで検索してくださいな。松岡正剛の「千夜千冊」でも取り上げられています。

ボクはこの夏から5〜6年のあいだほとんど年に2〜3度は釣井部落に通ったものでした。それは、祖谷の人々の素朴であたたかい人情とアレックスの家から眺める祖谷の渓谷の美しさ、そして部落の子供達との夢のような交友のなせるものでした。
本当にここで過ごした日々はボクの宝でありまして、いや過去形ではなく当時ハナタレガキッチョだった子たちのうち何人かはいまでも親しく付き合っているのでありますよ。

でもって、写真です。若き日の99%です、いまとはまったく異なっておりまして、いまを知ってる諸君は「ウッソーッ!!」と叫ぶでしょう。ボクも叫んだくらいです。

(写真1)はアレックスの家の縁側で21才のボクと当時11才のコージがゆったりまどろんでる図であります。コージはいまは大阪で立派な大工の棟梁をやってます。来月の京都の個展では久しぶりに会えると思っています。コージのことで思い出すことのひとつに、コージがアレックスの家に来たときたまたまボクもアレックスも留守で、しばらく待っていたコージが囲炉裏の墨をつかって超へたくそな字で「またくるきにの」って書き置きしてくれたこと、いつもの話し言葉そのものが書いてあったのです。泣けるほど感激したのを覚えているんだけど、何に感激したのかな?こんなコージがいい男になってくれたのであります!

(写真2)はなんとオールヌード写真であります。
釣井部落の奥にクンゼ淵という滝壺があって、部落から2時間くらい歩くのですが、夏のある日コージややはり大好きなエージやノブチュウたちと行ったことがありました。出かける前に部落の古老から「行っても決して淵に入らんように、入ったら必ず白い蛇が出るで、それでとんでもない大雨にふられるで・・」」と言われていたのですが、淵に着いてみたらあまりにきれいな滝壺で。こりゃあすっぱだかで飛び込むしかないじゃんと東京の大学生は思ったのでありますよ。もう一人は学生時代の親友のタカオ。(いまでも当然親友です)
それでです。かっこよく飛び込んで気持ちよく泳ぎまわっていたのはいいけれど、なんか白っぽい長いひもみたいなのが美しいボクたちの裸体にすりよってくるのですよ!とっさに思い出したのは部落の古老の話、白蛇だあ〜!ボクとタカオはイチモクサンで岩を駈け上がりえっさかほいさか部落への山道を急いだのです。ところがやっぱり程なく途轍もない大雨に襲われました。いやあ、びっくりしたのなんのって、こんなことってあるの?!
なつかし過ぎる夏の一日のことです。

(写真3)はその2年後だったと思います。
アレックスの家の茅葺き屋根の傷みが相当ひどくなってきたので、思い切って茅の葺き替えをしようとうことになって、東京からもアメリカからも釣井の衆にも援軍を頼んで、実際に茅を葺き替えたのでした。このまっくろけの写真は古いつぶれかかった廃屋の茅を剥いて使えるのを選んで束にしてるところです。茅葺きに使える新しい茅は植林が進んだ四国ではなかなか手に入りにくく、古い家の茅を再利用することになったのでした。昔の家はみな囲炉裏をつかうので茅葺きの中まで煤けて黒くなってしまうのです。それでも雨に打たれてなく油で強くなった茅は重宝するのです。ただ、作業するボクらは完全に煙突掃除やさんと化してしまいます。写真の左側のガイジンはアレックスではありません。彼の友人のトムで、この夏祖谷で過ごしたあとネパールに行って大病してその後アメリカでアジアのなんとか学の先生なったということですって、いいかげん過ぎる紹介だね。

実際の茅葺き作業は本当に楽しかったです。
部落総出で3〜4日かけてやるのですが、こんな経験は都会育ちの人間にはとても考えられないと思います。
葺き替えが終わると手伝ってくれたみんなで「葺きごもり」というお祭りをします。祭りといってもアレックスの家にみんなを招待して飲めや歌えの大宴会をするんです。あの夜のみんなの満ち足りた笑顔は忘れられません。

というわけで、引き出しのなかの青春ご披露の巻でした。
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by kuukuu_minami | 2007-05-16 23:25
春の日いろいろ
ちょっと前に書いた雑記

3月1〜10日まで本郷で開いていた個展もとうに終わって、連日多種多彩(異種異様ともいう)な友人たちと飲みつづけたせいか、ちょっと疲れ気味の3月ももう終盤、きょう午後満開になったと思ったら夜には散り始めているソメイヨシノがいじらしいのです。

うちの小さい庭でもクロカッスや水仙、ムスカリ、チューリップなどの球根類が咲き始めています。それに純白のハナモモの泡粒のようなつぼみが大きくふくらんでくるのを見るのは無上の楽しみなのだ。このハナモモは5年ほど前に近くの園芸店で70〜80センチの苗木をみつけて自転車のカゴにいれて買ってきたのが、もう背丈5メートルくらいに伸びている。桃栗3年っていうけど、本当に桃の生長は早いもんです。

このところ何をしていたのか、トクとは思い出せません。
ただ、ほとんど毎日ほろ酔いになって、いつのまにかごろんの日々だったことはたしかです。
イベントはといえば、数日前我が家に大小23人ほどの友人たちがやってきて大いに飲み食いして騒いで帰ったことでしょうか。
以前やっていたKuuKuuという店といまでもやってるまめ蔵という店のかつてのスタッフとそのこどもたちとの定例不定期宴会なのです。
大は40ちょっと手前、小はまだ4ヶ月くらいのチビちゃん、2歳から5歳くらいのこどもたちの面白いことといったら、半端じゃありません。


うちにいらしてくれたことのある方はおわかりでしょうが、構造的にこどもの遊び場のような設計になってるので、こどもたちが上下左右ななめに動き回って飽きることがないんでしょうね。ほとんど限界をはるかに超えて長時間遊び回っておりました。
アホなほどこども好きの僕も飽きずに飲んじゃ笑っておりました。
そのこどもの親たちも、最初わが店にやってきたときはほとんど18歳か19歳の少年少女でしたが、いまじゃ立派な?お母さんお父さんなんです。歳月というやつは勝手にヒトを大きくさせるものでありますな。

いまはまだまだチビ助ちび子ちゃんたちがみんな僕のことを「ますた、ますたあ」って呼ぶのがくすぐったくも嬉しいのでありました。このうちの誰かはもしかしたら2代目バイト生で入ってくるかもしれないなあ、と思いつつ「いつまで店やってるの?」と天の声が聞こえるのもまたたしかなことであります。

このまえ久しぶりに京都へ行ってまいりました。
京都の大学でダンスの先生をやってるうちの奥さんの公演を見がてら、6月に京都の恵文社という書店のギャラリーでやる個展の打ち合わせもしてきたのです。。
公演はジャン・ジュネというフランスの作家が晩年書いたパレスチナ紀行『恋する虜』と『ジャコメッティのアトリエ』という本を題材に、うちの奥さんが企画構成したものでダンス・美術・映像のスリリングなコラボレーションでした。3年がかりくらいで多くのワークショップやシンポジウムなどを経た上で来年春の本公演のための、今回は中間発表のような公演でしたがとても見応えがありました。『恋する虜』はまだ読んでいませんが、『ジャコメッティのアトリエ』は大好きな本なので、モチーフと舞台成果とのあいだに多くの困難さを感じつつも、いやだからこそか僕自身にも思いの深い舞台ではありました。

恵文社での個展は6月12日から18日までです。ちょうど前の週に我が甥っこの山田心平が恵文社で木版画展を開くので、ちょうどあいていた次の週に念願だった京都展を僕もやってしまおうと、恵文社に行ったこともないのにお調子者根性で決めてしまったのです。心平君がいなかったらどうなっていたか、これがホントの「甥の七光り」なんちゃって、これが言いたかっただけであります。

また日記が長くなってきてしまいました。
お急ぎの方はここらでどうぞリタイアを・・・・。

僕の落語の師匠で詩人の八木忠栄さんから借りたNHKの「立川談志・71歳の反逆児」を見ました。

めちゃんこ感銘を受けました。談志師匠ほど毀誉褒貶に晒されてきた落語家もいないと思いますが、古希を超えたこの師匠の高座に触れたら(出来のいい時に限る)その凄絶な語りの芸に純粋に感動するのではないでしょうか。時には師匠があまりに先鋭的なシュルレアリストに見えるほどなんです。
番組のなかで爆笑問題の太田光が談志こそ唯一の天才だと言ってましたが、天才かどうかは別にして唯一無二の存在であることは間違いないと思います。

数年前に吉祥寺前進座で聴いた「らくだ」と2年前に甲府で聴いた「やかん」は僕の落語体験ベスト2です、って落語にあまり関心のない方はなんのことか分かりませんよね。ともかくこのTVドキュメンタリーはすごかった。落語は人間の業の肯定だと若い時に言い放った談志70を超えて我が業とのすさまじい葛藤をさらけ出して見せる、これも業なのかとちょっと暗然とした心地にもなりました。

でも、印象的なシーンが満載されておりました。
ベトナムでの高座で十八番の「芝浜」を途中で言い淀み、話を飛ばしてしまい心底落胆する(たぶん)談志の表情、九州の落語会で「ここは笑うとこかい?」と客の無防備の笑いに腹を立てるシーン、行きつけの銭湯でやせこけた体をカメラに撮らせてでも上機嫌で風呂を出て踊るシーン、前座から二つめへの昇級試験で見せる鬼のような師匠としての正しい迫力、死にたい、もうダメだと繰り返しする独白、実際の高座のシーンの数々・・・DVDにダビングしたのでこれから何度でも見たいと思うのでありました。

ちなみに4月14日は前進座での「談志一門会」いい席がとれました。

さて、長くなりついでにもうひとつの話題で〆ますね。
でもここからがまた長くなりそう、ああ、おヒマなのねえ〜。

最近、昔買ったままずっと読んでいなかった辻征夫の詩集を読んでいる。
ライトヴァースというのか、やさしい言葉、軽妙なタッチで結構深い機微をついているように思う。
好きな詩がたくさんある。現代詩文庫の裏表紙の推薦文で谷川俊太郎さんが、だれかに読んで聴かせたくなるような詩だと書いていたが、本当にそうで、この前いつも行ってる吉祥寺の中清という蕎麦屋で、辻さんが20数年前友人の詩人・清水昶氏のことを書き込んだ詩を20数年後のいま、当の清水昶と同じく中清の常連で畏怖措く能わざる舞踏家・麿赤兒さんをを前にしていつものかすれ声で読んだのでした。思潮社の現代詩文庫『続・辻征夫詩集』の「濡れている樹木」という詩です。興味のある方、大きな本屋で立ち読みしてくださいね。昶詩人は、そんなこともあったなあと思い出したようでしたが、週に2度くらいは会っている昶詩人の20数年の時間が辻さんの短い散文詩から零れ出てきたようで不思議な心持ちになったのでした。

昶詩人はいつも同じ席にすわって同じ帽子をかぶって必ず紫煙をくゆらせ日経新聞をひろげ(中清には日経と中日スポーツしかないのだ)俳句手帖もひろげ、ときおり電子手帳もひろげ、「なあ、みなみさんよぉ、なんでなの?」と平仮名でなんどもなんでも尋ね、「みんな死ぬ」とひとりごちし、毎日ぬる燗の酒を大体五合くらいは飲んで、よろりと立ち上がって「じゃあ」と言って帰るのです。

僕が18歳だったころ、池袋の古本屋ではじめて買った現代詩の詩集が、出たばかりの清水昶の『少年』という詩集だった。中村宏の装幀で見返し扉に赤いセロファンが使われていた。当時清水昶は28歳、すでに日本の詩壇では若きヒーローのひとりだった。
僕はそれまで中原中也くらいしか読んでおらず、清水昶の詩によって日本現代詩の森に導かれることになったのだった。
以来、詩はずっと好きでまあけっこう読んで来たほうではないかと思う。
清水昶とはそれから20年以上経ったある日、吉祥寺のいまはない下駄屋という友人の店で偶然出会い、「これがあの白皙の秀麗詩人清水昶か・・・」と驚愕したのだった。なぜって、そのころの昶詩人はほとんどアル中状態で飲んで忘我の境に泥のようにへたりこむ様はちょっと異様だったのだ。でも僕はすぐに親しくなった。彼は無垢な酔いどれ詩人だったと思う。

そんな清水昶氏といまでは最も頻繁に会う友人付き合いをさせてもらっているのは本当にありがたく幸福なことだと思う。でも彼は最近ほとんど詩を書いていないようなのだ。隣に座ってしばし時を過ごせば、彼が生粋の詩人だということはすぐにわかるのだが、詩を書かない詩人というのはなぜか、さびしいようなほっとするような不思議な感慨を抱かせてくれますね。

まとまりのない近況のおわりは、28日に終わった我が甥っ子・山田心平の青山・ビリケンギャラリーでの個展を見ての帰り、マイミクの木版画とテラコッタの才媛akemita姫と絵本編集者suko氏と心平と4人で行った、青山の「こいし」という居酒屋での話が面白かったなあ、と・・・内容は心平の作品について、木版画について、絵本について、友人たちのうわさ話とあとはいつものように超くだらないギャグの応酬(ホントは自分ひとりで応酬?)ってとこだけど、この「こいし」っていう居酒屋は家庭料理がめちゃうまいし、店の雰囲気もお客さんの感じもナイスですごく落ち着ける店なんですよ。

でもちょっとばかり変わってるのは店のマスターが完璧にOKMさんで、若い男にしか関心を寄せない一本ビシッと筋を通すおヒトなんです。甥っ子である心平もsuko氏もはっきり美少年なので、この店に連れて来たらどんなことになるか楽しみ(どういう趣味なんじゃ!)だったわけなんです。
でもさすが甥っ子をマスターの餌食にするわけもいかず、suko氏にマスターの手の届く席に座ってもらい、まあ僕やakemitaも心平も楽しませてもらったってわけですが、帰り際にsuko氏に彼女がいると知ったマスターの「まあ、不潔ね!」のひとこととその後のテンションの落ち方がまたおかしいのなんのって・・・。

なんかどうでもいいような事書いてるよね。ここまで読んでくださる方は稀だとは思いますが、ながながとありがとうございました。

写真は「美しいハナモモ」「みんなそろっていいお顔!」「万華鏡を見るために並んで待ってるこどもたち」

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by kuukuu_minami | 2007-05-16 23:18