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聖火リレーの日、長野で・・・
4月25、26日と長野にいました。
25日は佐久の山小屋で友だちと山菜天ぷら食べてテレビもパソコンもない時間を過ごした。満天でもなかったけど美しい星空と川の音のなか、友だちの亡くなった奥さんの話をたっぷり聞いた。

26日は長野市内に行って、聖火リレーにあわせて集まったチベット・サポーターのなかにいた。駅前は小競り合いが続き緊張した雰囲気だったが、歩道を歩きながら最終地点の若里公園に向かう時間はわりとのどかな感じだった。
グループから離れて歩いていた中国人の若者にチベットの旗を持った元気な日本のおばちゃんが「あなた、ちゃんと勉強しなさい!」なんて説教しながらいっしょに歩いたりしていたし、ほぼ同じ道を両グループが前後しながら歩いているのにその道沿いにはまったくと言ってよいほど警備の警官が配備されておらず、同じ時間に行われていた聖火リレー沿道の赤い旗に埋もれた喧噪とはちょっと次元が違った感じ。

若里公園に着くと広い芝生広場の大きな空間には何千という赤い旗がゆらめき、チベット側の数百のサポーターもこちら側の陣地でチベットの旗を振りかざしている。その間は100メートルくらいの緩衝地帯でここには警備の警官が配備されていて衝突するなんて考えられない構図。でも、さすが長野だけあって合戦前の川中島みたいな高揚した両陣地の緊張感がぴりぴり。

ダラムサラの友人がやってるルンタ・プロジェクトの知人と合流していたので
聖火到着までの2時間ほどはみんなのシュプレヒコールをずっと聞いていた。
雨が降ってきて、旗も人も濡れ、そしてとても寒かった。
陣地の向こうの赤い旗は聖火の到着が近づくとその数がどんどん増えて、まったくの多勢に無勢状態になってきた。

でも、どんなに増えてもあちらからはほとんどエネルギーがこっちまで届いてなかったんじゃないかな。チベット側は、まあその中にいたから当たり前だけど、どんなに雨脚が強くなろうとシュプレヒコールの声が途切れることなく、
いっしょにいるボクもしばしば胸が熱くなった。

写真の坊主頭の女性はチベットの人だろうか、ずっとずっとハンドマイクを握って叫び続けていた。すごかった、きれいだった。

聖火は中国側の道から到着して記念式典の場所に運ばれて行ったのでこちらからはまったく見えなかったが、中国の人たちの旗がいっせいに走り出したので「その時」を知ったわけだ。

到着してしばらくすると、中国側の赤い旗は三々五々の二乗くらいの早さで消えて行き、そのうちぐしょぬれだった警備の警官もホッとした表情で解散。
数百人のチベットサポーターだけが小高い丘の周辺でやっぱりずぶ濡れになりながらまだまだシュプレヒコールの声を上げている。

チベットのお坊さんに混じって、日本のお坊さんの姿も何人か見える。
写真のお坊さんは若い托鉢僧、とてもきれいな顔をしてずっと祈っていた。
金髪の派手な衣装のカップルや着物姿の若い女の子たちもチベットの旗を持って最後まで帰らなかった。

集会の終わり頃には雨はもう本格的な降りだったが、日本人の世話人、チベット人の青年、内モンゴルの青年、中国人の青年まで泣きながら挨拶していた。

これが、ボクが26日に体験した長野のことです。

帰りはひとりで善光寺まで歩き、朝の法要には出られなかったので、長野が実家で善光寺のすぐ上の高校に通っていたという奥さんのぶんまで感謝の礼拝を捧げ、見慣れた境内がなぜかいつもよりずっと清々しかったなあ、と思っていたら、さっき公園でずっと祈っていた若い托鉢僧に会った。
「どちらから来ましたか?」と聞いたら「いえ、長野のお寺なんです」と恥ずかしそうに答えてくれた。彼の持っていた錫杖にはチベットの旗が巻き付いていた。本当にいい顔したお坊さんだった。写真を撮りたかったけど、やめておこう・・・。するとはっきりと明るく「おつかれさまでした!」と言ってくれた。善光寺にはチベットの人も何人かいたけど、ふしぎなことに中国人も多かった。お線香あげて手をあわせていた人もいたなあ。

チベットと中国の和解、そんなに難しいことなのだろうか。
中国政府とチベット亡命政権の特使の対話がはじまるというニュースも流れているけれど、本当に前向きな対話ができることを祈るばかりです。

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by kuukuu_minami | 2008-05-04 13:56