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チベットの子ども村  その5
きょうは、もうたまらない3枚の写真です。

真ん中の赤いセーターの天然パーマの女の子は2回目の登場ですね。
名前はタシかクンガのどちらかで、この3月にTCVに来たばかりの孤児ちゃんです。くちびるを尖らせてちょっと顔をしかめて何を考えているのでしょう・・・。抱きしめたくなるような子です。

ほかのふたりの男の子の名前はわかりません。
帽子をかぶった少年はネパールかインドの血が混ざっているかも知れませんね。
なんとも言えない優美な表情をしていました。

坊主あたまの少年は、定番のハナタレ小僧です。なんちゅうか、まったくもって可愛すぎる少年です。
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by kuukuu_minami | 2009-04-30 11:26
チベットの子ども村  その4

TCVで撮った子どもたちの写真でお気に入りの中から3枚お見せします。
たまたまこの3人ともテンジンという名前を持っています。

ホーム7のテンジン・ユウロは15歳、みんなのお姉さんのような存在です。やさしい笑顔が印象的です。チベット・ラサ近郊の町ロカで3人姉妹の末っ子として生まれましたが、2000年の春、姉妹のひとりでもチベットの文化と宗教を学んでほしいという両親の考えでインドに亡命して来ました。ネパールの国境の町・ダムまでは中国公安の検問を逃れ車のシートに隠れるようにして来たそうです。そこから歩いてネパール領の安全な地域までたどり着きました。まだ6歳だったユウロは両親と離れて遠い旅に出ることがとても不安だったそうです。いまでも両親とふたりの姉さんはロカと北京に住んでいます。

家族には会いたいけど、いまはインドで学ぶことが大事なことだから・・・と語る15歳の少女。勉強がはかどるとエキサイティングな気持ちになると微笑みながら語ってくれました。理科系の科目が大好きで、将来はお医者さんになりたいそうです。

ホーム7に通った最後の日に子どもたちに月桃の絵のカードやTシャツをプレゼントしました。ユウロが手にしているのは彼女が選んでくれたカードです。

テンジン・パルデンは2年生。ちょっと前の日記でホーム7の部屋でひとり写ってた男の子です。その時は髪の毛がありましたが、この時は丸坊主にされていました。頭のてっぺんに大きなおできが出来ていたのです。

パルデンはダラムサラ近くのカングラ地方で生まれ2年前小学校に入るときにTCVに預けられました。もの静かですが何故かとても気になる男の子です。

ある時、夕ごはんが終わってカメラマンの野田さんと悪のりして子どもたちを集めて「歌え!踊れ!遊べ!」みたいな感じになったとき、さっきまで丸坊主でおとなしかったパルデンがいきなり毛糸の帽子を目深にかぶって登場して、あれよという間にブレイクダンスを始めたのです。いやあ、あっけにとられたの何のって、すごくリズム感があってメチャうまいんですよ。みんなやんやの喝采で盛り上がりましたね。パルデンはひとしきり踊ったあと、何事もなかったように部屋から出ていきました。いい顔した男の子でしょ。

テンジン・パルモはとても美しい少女です。
最初会ったときには、みんなから離れてひとりでいることが多く、どこか寂しげな表情ときりっとした佇まいがふたりのおっさんの胸をハラハラと打ち、思わずチベット難民の子どもたちの学校を取材するという崇高なミッションを忘れて、自ら少年時代に還ってしまったかのような錯覚に陥った・・・なんてことは断じてありませんから・・・。

パルモに次に会ったときには、少女らしい明るさを取り戻していました。仲間と楽しそうに遊んでいる時の表情がまたよくて、その写真は次回に・・・。この日は当番だったのか、かなり重そうなUSAのバケツ缶に入ったゴミをゴミ捨て場に運びに行ってる途中に撮ったのがこの写真です。我ながら傑作だと思わずにはいられません。(こんなに重そうなバケツを運んでる少女を見て、おまえは手伝おうともせず、シャッターを押していたのか?!という批判は甘んじて受けます・・・事実です、スイマセン・・・)

「チベットの子ども村」日記では次回までで15枚の写真をお見せするつもりでしたが、懐かしく素晴らしい表情の写真が多いのでもう少し続けさせてくださいね。彼らの表情の向こう側にチベットの悲劇の現実があるということも、重ねて見ていただけたら嬉しいです。
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by kuukuu_minami | 2009-04-28 22:37
チベットの子ども村  その3
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TCVではホームに住んでる子どもたちが、洗濯、掃除、食事の支度を当番制でこなしています。みんな楽しそうにチームワークを組んでせっせせっせとやっていました。洗濯はかなり昔風のスタイルですが、洗剤とタワシのようなもので強くこするので汚れはバッチリ落ちているようでした。

日曜日でしたが、洗濯ものを干したところで、女の子は女の子らしく髪の毛をとかしたりしてました。どこでも女の子は身だしなみが大事ですよね。

お風呂の日には外の水場でお姉さんたちが年下の子を洗ってあげていました。まだ寒い日だったので男の子はふるえていましたっけ。

正直、うらやましくなる光景でした!
(いえ、お姉さんに洗ってもらうことが、ではなく・・・TCVでの子どもたちの暮らしぶりが、です。)

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by kuukuu_minami | 2009-04-26 00:05
チベットの子ども村  その2
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Tibetan Children's Village (TCV)の仲良しツーショット3点です。

可愛い(可愛すぎる!)タシとクンガというふたりの女の子はこの3月にダラムサラのTCV・ホーム7にやって来たばかりです。北インドの仏教徒の多いことで知られるキノール地方から来たそうですが、ふたりとも身寄りのない孤児だそうです。
タシとクンガはいつも一緒、赤い服が似合ってますね。なにが楽しいのかいつもくっつきあって遊んでいます。

小学校の授業が終わり、廊下で古典的?な仕草で肩を組んでいるふたりの少年の澄んだまなざし!ボクたちにもこんな時代があったのでしょうか?
(オマエニカギッテハナイ!)はい、そうかも知れません。

この子たちはたぶん姉弟ではありません。でも、ホームの子どもたちはみんな家族同様です。当たり前のように手をつないで暮らしています。

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by kuukuu_minami | 2009-04-24 17:24
チベットの子ども村  その1
ダラムサラ・レポート再開です。

ダラムサラに "Tibetan Children's Village" チベットのこども村(略称TCV)というチベット難民の子どもたちのための学校があります。
1960年、すでにインドに亡命していたダライ・ラマ法王14世がチベットの未来を担う子どもたちのために創設した学校です。

いまでは、インド国内だけでも北のラダック地方、南のバンガロールなどを含め多くのTCVがあり、15000人以上の子どもたちが学んでいます。

TCVではホームと呼ばれる寄宿舎に幼児から15歳くらいまでの子どもたちが共同生活をしています。子どもたちは、朝5時半の起床からみんなが助けあって食事、掃除、洗濯までこなして行きます。大きな子が小さな子を助けながら暮らしている様子は、子どもたちが難民なのだということを忘れてしまうほど自然なやさしさに溢れています。

ホームではホームマザーと呼ばれる保母さんが子どもたちと起居をともにしながら子どもたちを守っています。マザーの多くもヒマラヤを越えて亡命して来たのです。

今回の「チベットの子ども村」はダラムサラのTCVにフォトジャーナリストの野田雅也さんといっしょに何度も通った記録です。写真は延べ15枚掲載する予定です。みなさん、もう少しの辛抱です、最後まで追いかけてくださいね。

ちなみにTCVのレポートは6月発売の「月刊クーヨン」に3ページですが文章・南椌椌、写真・野田雅也で掲載される予定です。原稿は写真もふくめて今日すべて送ることができました。乞うご期待です。

(この日記の写真はすべて月桃先生の写真です。本人はかなりいいのでは!と思っているようですが、野田氏の写真はやっぱプロです。月桃先生はそれはカメラの違いなのだと言い張って、キャノンのD50というデジカメを買うぞ!と息巻いておりましたが、奥さんのS姫から「弘法筆を選ばずっていつも言ってたのは誰!」と一喝されあえなく消沈でありました。)

写真上:早朝5時頃のダラムサラのTCVホームの風景。なかではホームマザーの仕事が始まっています。

写真中:ホーム7の男の子の部屋、2段ベッドに小さな子はふたりでふとんにくるまっていました。ひとり写っているのはパルデン少年、この時は髪の毛がありましたが、次ぎに行ったときには丸坊主でした。頭におできが出来ていたらしく薬がたっぷり塗られていました。

写真下:朝のごはんです。ほとんど金属製の容器に一品だけの料理ですが、お祈りは決して欠かさず、ゆっくり残さずいただきます。

(以下はたぶん明日です。)
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by kuukuu_minami | 2009-04-23 00:37
空想料理店  プラス!
ダラムサラの中原くんから
ルンタ・レストランの近影が届きました。
諸国ガイジンさんがたくさん写ってる写真と
厨房の女性スタッフの写真がほしいとお願いしてたのです。

そう、日頃店内はこんな感じです。
諸国ガイジンさんはダラムサラで出会っていっしょにごはんを食べてまたそれぞれの旅に出るということが多いように思います。

ルンタには風の馬という意味があります。
チベットには家の屋上や寺の中央、山頂、峠、橋や水辺などに、経文を印刷した魔除けと祈りの旗「ルンタ」を掲げる習慣があります。
旗の中央には「風」「速さ」を象徴する馬が描かれていて、これは、願いごとが早く成就することを意味します。
ルンタの旗(タルチョと言います)が山頂などにはためいているのを見るとチベット人の祈る姿が思い浮かびます。

(追記)
これを読んだダラムサラの中原君からルンタとタルチョについて詳しい解説が届きました。生半可な知識で書いちゃいけまへんな。以下参照してください。

南くんへ、<ルンタ=風の馬>はいいのですが、<ルンタ=タルチョ>じゃないのです。ルンタは最初は、、、昔昔(2000年ほど前)ある南の島に美しい女性に化けた、羅刹女たちの住む島がありました。
漂流しその島に辿り着いた男たちは、女達に騙され結婚し子供までつくりました。女たちは島の南に行ってはいけないと常に男たちに警告していました。
しかし、ある男がある満月の日に、、、、ああ、話が長くなるので中略、

満月の日、空駆ける白い馬が現れ男たちはそのしっぽに捕まり、島を脱出することができました。しかし、馬は決して妻子のことを思い後ろを振り返るな、振り返れば落ちよう、と言いました。多くの男たちは振り返り落ちて行ったのです。

とこれは紀元前後の仏教説話。
これが後に大乗の観音信仰と結びつき、、、中略、
チベットに仏教とともに伝わり、ボン教的影響も少し加味され、意願成就の風習となった。
まずはこの馬だけを小さな10センチ四方の紙に印刷したものを何百枚も束にしたものを、風の吹く、山の頂上、峠、聖地など精霊/風の馬の居そうな場所で空に意気よい良く投げ上げる。紙切れが風に乗って空に舞い上がって遠くまで散っていく、とルンタが仏のところへ飛んで行って願いが叶うような気がするというわけです。

タルチョ(祈りの旗)の中にはいろんなお経、神仏が描かれ(印刷され)ます。
その中もっともポピュラーなのがルンタなのです。
ルンタが描かれたタルチョをルンタと呼ぶ人も稀にいます。
でももともとは別物です。

(以下は写真の説明です)

諸国外人さんの中の美人さんはきっと中原好みかも・・・背景に下がってる旗は去年ポレポレ坐でやったイベントでこどもたちと一緒に作ったタルチョです。

厨房の中、右から2番目がルンタ・レストランのママ、直子さんです。いつもにこやかおっとりとして頼りがいがある素敵な日本女性です。
パッサンがきょうは帽子をかぶってないですね。
ちょっと大柄のチベタン女性・・・名前忘れてしまった・・・いつも明るく冗談っぽく仕事しています。
この厨房からみんなの歌がなくなってしまったら寂しいけど、それはチベットがまた大きな犠牲を払うときかも知れません・・・。

みなさん、いつかダラムサラの空想料理店、訪ねてみては?
きっと、なにかが見つかるかも!です。
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by kuukuu_minami | 2009-04-17 22:40
ダラムサラの空想料理店  その3
ある日のルンタ・レストラン

ルンタ・レストランの直子さんとソナムの娘さん、チュニがテラスで自転車に乗っています。後ろの山には梨の花が美しく咲いています・・・。
ダラムサラは坂道だらけでしかも石がごろごろの凸凹道なので、ボクが滞在中自転車を見たのはルンタのテラスだけでした。もしかしたらダラムサラで唯一の自転車かも知れません。
チュニはきれいでしょ!それにチュニが着ているTシャツはナント月桃先生の象さんTシャツです、なんという偶然、世の中こんなことがあるんですね??

中の写真はレストランでいちゃつく問題のカップルです。天然パーマのチベタンはツェリンといってダラムサラではちょっとした有名人です。眼鏡の日本人はMr. N2、チベット問題を最も先鋭的に追いかけているフォトジャーナリストで、今回、ネパール・ヒマラヤの標高5700メートルのチベット人亡命ルートまでの苛酷な取材の帰途ダラムサラに滞在していました。月桃とは一緒にずいぶん回ってくれました。
見ての通り、ツェリンとMr. N2はただならぬ関係に陥り、これでチベット支援など出来るのかと周囲は気を揉みましたが、本人たちはただじゃれ合ってるだけだから心配するなと言いたげでした。
ツェリンはデモの時、足場の危うい柵の上でチベット国旗を激しく振り続け、ほとんどトランス状態になっているようでしたが、実際会ってみると本当にやさしく穏やかでスキンシップの大好きな男です。スキンシップの相手は男性、女性まったくお構いなしなんです。こんなチベット難民もいるんですね・・・感動の人物でした。

下の写真の男の子もルンタ・ハウスで働く亡命者の子どもです。
チベット人は仏教哲学に慣れ親しんでいるせいか、ものごとを曖昧にすることより真実を究めようとする態度が自然にあらわれます。この子も一緒にちぎり絵を作って遊んでいたのですが、曖昧で主観的な創作作業よりも糊の入った容器の構造にぐぐっと関心を注ぎはじめました。こうやって糊の容器の底から見ると、世界というものがやはり「空」なるものだと悟ったのか、しばし後にはすべてを放り出して遊びに行ってしまいました。

ルンタ・レストラン・レポートはこれにておしまい。
次回からいよいよ "Tibetan Children's Village" について報告します。
もう少しでダラムサラ日記も終わりますから辛抱して読んでみてくださいませ!
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by kuukuu_minami | 2009-04-17 17:00
ダラムサラの空想料理店  その2
ルンタ・レストランについて知っていることを書きます。

ボクの友人の中原一博は1980年代にダラムサラに移住しました。大学でひとりチベット宗教建築を学んでいた頃から在日チベット人との交流がはじまり、大学卒業後ダラムサラの亡命政権からの招請状を受け取り現地に赴きました。仕事はもちろん亡命政権の様々な施設の設計です。その後、設計分野では多くの仕事を続け現在に至っていますが、建築家としての仕事の他にも亡命チベット人のために献身的に尽くしています。そんな流れのなかからダラムサラに滞在する日本人たちが自然に難民自立支援のNGOを立ち上げようということになったのだと思います。

1999年9月、ルンタ・プロジェクトの拠点になる4階建ての立派なルンタ・ハウスが完成します。完成に至るまでに多くの寄付が寄せられましたが、最後の決め手になったのがミュージシャンの浜田省吾さんからの寄付でした。というのも浜田さんと中原君とは広島時代の悪友でいっしょにバンドを組んだ仲でもあったそうです。ちなみに浜田省吾さんは難民の子弟が学ぶ”Tibetan Children’s village”にも多額の寄付をされ、”Shogo Home”と名付けられたホームがあり、30数人の子どもたちが共同生活を送っています。

こうした背景のなかからルンタ・プロジェクトならびにルンタ・レストランが生まれたのです。

さて、ルンタ・レストランではどんなチベタンが働いているのでしょう?
ルンタ・ハウスで働く人たちは原則としてヒマラヤを越えて亡命して来た人々です。
それぞれ個人的背景は違っても、みなあまりに苛酷な体験をしている人々です。

例えばパッサン・ドルジェの場合。
パッサンはレストランの厨房で働く男、写真でわかるようにいつもテンガロンハットをかぶりおかしな髭を生やした伊達男風で厨房ではいつも陽気に歌いながら仕事をしています。
しかし、パッサンも凄まじい経歴を持っています。

彼はチベット本土のガンゼ地方で生まれ15歳のときに自ら欲して僧侶になり、やがてガンゼの街頭にチベット独立の貼り紙を貼った罪で捕まり、6年半の刑を言い渡されました。
パッサンは後ろ手に縛られ親指に錠をはめられ、さまざまな拷問を受けましたが中国公安には妥協することなく良心を貫きました。その結果は極度の衰弱により見るに堪えない状態になりました。監獄では窓のない独房に手錠と足かせをかけられたまま1年も入れられました。その状況がどんなに悲惨なものだったか想像してください。6年半の刑期中にはさらに苛酷な仕打ちを受け続け衰弱の度合いは増すばかりでしたが、なんとか刑期を終えて外に出ることができましたがふたたび僧衣をまとうことを禁じられました。
その後も何度も警察に捕まり拷問を受けるという苦難の日々は続きましたが、2004年11月、生きているのが不思議という状態でヒマラヤを越えてネパールへ逃れ、そしてインド・ダラムサラへ到着できたのです。
レストランで陽気に働くパッサンを見ていると彼がこんな苛酷な体験をしているなんて想像することさえできまません。しかし、パッサンの体験はここダラムサラでは決して珍しいことではないのです。

ルンタ・レストランはいつも色々な人種の人々で賑わいボクにとっては理想的な空想料理店の雰囲気を持っていますが、実はこうした体験を持ったスタッフによって支えられているのです。

この日記は去年いっしょにチベット支援イベントの実行委員を担ってくれたmao☆さんのブログ「たまゆら雑記」から引用させていただきました。彼女はイベント終了後すぐにダラムサラに行き多くの亡命者にインタビューしてくれたのです。2008年9月と11月の記事に彼女がインタビューした記録が「証言」として掲載されています。みなさん、ぜひお読み下さい!
http://newborder.exblog.jp/m2008-09-01/
http://newborder.exblog.jp/m2008-11-01/

写真上:一見陽気な伊達男、パッサン・ドルジェ、いい男です。

写真中:やはり厨房で歌いまくるツェリン・テンパ、彼も少年時代の僧侶となりましたが、独立を訴えるデモに参加し捕らえられ、その後インドに亡命してきました。

写真下:厨房でおいしいパンやケーキを焼いているガワン・トプチェ。彼も元僧侶でしたが、彼の僧院にダライ・ラマ法王の写真を掲げたという理由だけで捕まり11年の刑を言い渡されましたが、監獄での拷問による衰弱が激しく追い出されるようにして病院に入れられ、その後亡命に成功しました。

(写真もmao☆さん撮影です、ありがとうございました)
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by kuukuu_minami | 2009-04-17 13:42
ダラムサラの空想料理店 その1
ダラムサラのルンタ・レストランはマクロード・ガンジという一応繁華街風の通りから少し下ったところにあります。
レストランの入ってる建物はルンタ・ハウスと言ってこの日記にも何度か登場しているボクの古くからの友人中原一博たちが立ち上げたチベットの亡命難民のための自立支援NGO・ルンタプロジェクトと亡命難民自身のNGO・グチュスムが共同で使用運営しています。
ルンタ・プロジェクトのことはHPをぜひ参照してください。
グチュスムのことも詳しく載っています。
http://www.lung-ta.org/

ルンタ・レストランは日本食レストランです。
表から見たら通りに面した1階に見えますが谷のほうから見たら2階になります。広いテラスを含めたら50坪以上あるのでは?
日本人の直子さんとチベット人のソナム夫妻がマネジメントを取り仕切っていますが、働いてる人はみな亡命チベット人です。

店の雰囲気はとてもリラックスした感じで、お客さんは基本的にチベット好き、ベジ好きの諸国ガイジンさんたちと、日本人の旅人および滞在者が中心で、いつもかなり繁昌しています。
数から言ったら諸国ガイジンさんの方が圧倒的に多く、その中に黒目黒髪の日本人&チベット人が坐ったり立って働いたりしています。

ああ、この雰囲気って昔「諸国空想料理店KuuKuu」という料理店を開いたとき思い描いていたのと同じだなあ・・と感じました。
どこにもないけどどこにでもあるような交易都市の料理店・・・ダラムサラという町がそんな風にも見えるわけです。
もちろん、ダラムサラは中国の圧政から逃れてきた亡命チベット人たちの住む町ですから、「空想」という浮遊したような言葉はふさわしくありません。
ただ、ここには人種や民族という垣根を越えた空想的自由の気分があることも事実です。

直子さんとソナムのあいだにはチュニとチカという可愛いふたりの姉妹がいます。チュニは中学一年生、チカは小学5年生でチベット難民の子どもたちが学ぶTCV(Tibetan childerens village)に通っています。
ふたりは学校が終わると必ずルンタ・レストランにやって来て宿題をやったり、仲のよいチベット人の子どもたちと遊んだりしています。
チュニはとっても美人でちょっとはにかみ屋さん、なんか懐かしいような日本的乙女です。チカはちょっとおしゃまで明るくやんちゃです。夕方のルンタには諸国ガイジンさんたちと混じってルンタハウスの子供たちが入り混ざって不思議な光景を見せてくれます。

ある日、子供たちと一緒に絵を描きました。
何人かで一枚の絵を仕上げようということになり、みんなで集中したりさぼったりしながら楽しく描きました。レストランから見えるヒマラヤの山にかかる虹。ごく自然な風景です。

別の日には色紙をちぎってちぎり絵を作りました。チュニは細かい手仕事がとても上手で、他の子どもが飽きて顔に色紙をくつけて遊びはじめても淡々と丁寧な仕事を続けていました

写真上:チカちゃんとチベタンの親友。首に巻いてるのは誕生日のお祝いにもらったカタという白いスカーフ。

写真中:みんなで絵を描いてるところ、左の子がチュニ。

写真下:突然、顔をキャンバスにしてちぎり絵を作った男の子。とぼけたチベタンの子ども。

(つづく)

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by kuukuu_minami | 2009-04-17 13:29
ヒマラヤに向かって  その3
2回目のトリウンド登山は一週間後、
この一週間ダラムサラはけっこう天候不順で雨も多く夕方からはかなり冷え込む日も多かった。
そのせいか風邪気味で前回より身体が重かったが
歩き始めれば大丈夫、まずは快調に高度を上げて行った。

最初の茶屋を過ぎたあたりで
すごく雰囲気のあるインドの爺さんに出会った
髭をたっぷりたくわえた仙人みたいな爺さん
片言の英語同士でしばらく談笑
笑顔がやさしく包み込んでくれる・・・
爺さんの後ろにはチベットの祈りの旗・タルチョが見える

「ほらあそこに4つの四角い屋根があるだろう
 その下に長い屋根が見えるかい? あそこがワシの家じゃよ・・・」
「へえ、あの村に住んでるんですか?」
「そうじゃよ、トリウンドの帰りには泊まりにいらっしゃい
 とてもきれいでしかも安いぞよ・・・・
「・・・?・・・・・・」
この仙人はゲストハウスを経営しているらしい
もしかしたら、毎日ここに坐って客の勧誘してるのかも?
さすが仙人は深いなあ。

やはり前回よりずっと疲労感は増しているようだ
峠にたどり着いたときにはけっこうバテテいたが
せっかくだから帰路はあの尾根道を下ろう・・・
僕は来た道ではなく東にながーく延びる尾根道を下ることに決めた
休むとからだが冷えるし筋肉も固くなるので
ほとんど休む間もなむ稜線をくだりはじめた

結論から言うと、ごろごろとした岩だらけの
遠くから見るよりずっと急勾配の道からの眺望はまさに絶景の連続で
しかも今日はだれひとりここを通っていないらしい
なんでここに?というところにひとり草を噛んでいる牛くんはいましたが
まったくひとりきりでこの尾根道と絶景を占有した気分
ただ、この道は長い・・ひたすら長い・・・
歩いても歩いても・・・この道は終わらない・・・
しかもところどころに敷いてある
黒い玄昌岩のようなスレート状の石畳に照り返す日の光で
たぶん顔は真っ黒に焼けているに違いない

谷の底の川にかかる橋まで降りるころには
足はガタガタ、筋肉は突っ張って・・・
でも、朝8時に歩き始め午後6時ころまで
ダラムサラの下の町ロウアー・ダラムサラまで歩き通しました
よく歩いたよ、ボクはキミを誉めてあげたい

この2回のトリウンド登山は
今回の、チベット亡命政権の町を訪ねるという目的からは
ちょっとはずれたものかも知れませんが
ヒマラヤを望む町に住む亡命チベット人たちが
祈りとともに見ている雪の山の近くに行けたということが
僕自身にとっても嬉しいことでありました
あの先にはチベットがある・・・・

上:人生の深い味わいを見せてくれた仙人
中:羊や牛を放牧する民のための石造りの小屋
下:たったひとりで草を噛む牛

次回はダラムサラの日本食レストラン「ルンタ・レストラン」特集?です。





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by kuukuu_minami | 2009-04-12 10:56