春の日いろいろ
ちょっと前に書いた雑記

3月1〜10日まで本郷で開いていた個展もとうに終わって、連日多種多彩(異種異様ともいう)な友人たちと飲みつづけたせいか、ちょっと疲れ気味の3月ももう終盤、きょう午後満開になったと思ったら夜には散り始めているソメイヨシノがいじらしいのです。

うちの小さい庭でもクロカッスや水仙、ムスカリ、チューリップなどの球根類が咲き始めています。それに純白のハナモモの泡粒のようなつぼみが大きくふくらんでくるのを見るのは無上の楽しみなのだ。このハナモモは5年ほど前に近くの園芸店で70〜80センチの苗木をみつけて自転車のカゴにいれて買ってきたのが、もう背丈5メートルくらいに伸びている。桃栗3年っていうけど、本当に桃の生長は早いもんです。

このところ何をしていたのか、トクとは思い出せません。
ただ、ほとんど毎日ほろ酔いになって、いつのまにかごろんの日々だったことはたしかです。
イベントはといえば、数日前我が家に大小23人ほどの友人たちがやってきて大いに飲み食いして騒いで帰ったことでしょうか。
以前やっていたKuuKuuという店といまでもやってるまめ蔵という店のかつてのスタッフとそのこどもたちとの定例不定期宴会なのです。
大は40ちょっと手前、小はまだ4ヶ月くらいのチビちゃん、2歳から5歳くらいのこどもたちの面白いことといったら、半端じゃありません。


うちにいらしてくれたことのある方はおわかりでしょうが、構造的にこどもの遊び場のような設計になってるので、こどもたちが上下左右ななめに動き回って飽きることがないんでしょうね。ほとんど限界をはるかに超えて長時間遊び回っておりました。
アホなほどこども好きの僕も飽きずに飲んじゃ笑っておりました。
そのこどもの親たちも、最初わが店にやってきたときはほとんど18歳か19歳の少年少女でしたが、いまじゃ立派な?お母さんお父さんなんです。歳月というやつは勝手にヒトを大きくさせるものでありますな。

いまはまだまだチビ助ちび子ちゃんたちがみんな僕のことを「ますた、ますたあ」って呼ぶのがくすぐったくも嬉しいのでありました。このうちの誰かはもしかしたら2代目バイト生で入ってくるかもしれないなあ、と思いつつ「いつまで店やってるの?」と天の声が聞こえるのもまたたしかなことであります。

このまえ久しぶりに京都へ行ってまいりました。
京都の大学でダンスの先生をやってるうちの奥さんの公演を見がてら、6月に京都の恵文社という書店のギャラリーでやる個展の打ち合わせもしてきたのです。。
公演はジャン・ジュネというフランスの作家が晩年書いたパレスチナ紀行『恋する虜』と『ジャコメッティのアトリエ』という本を題材に、うちの奥さんが企画構成したものでダンス・美術・映像のスリリングなコラボレーションでした。3年がかりくらいで多くのワークショップやシンポジウムなどを経た上で来年春の本公演のための、今回は中間発表のような公演でしたがとても見応えがありました。『恋する虜』はまだ読んでいませんが、『ジャコメッティのアトリエ』は大好きな本なので、モチーフと舞台成果とのあいだに多くの困難さを感じつつも、いやだからこそか僕自身にも思いの深い舞台ではありました。

恵文社での個展は6月12日から18日までです。ちょうど前の週に我が甥っこの山田心平が恵文社で木版画展を開くので、ちょうどあいていた次の週に念願だった京都展を僕もやってしまおうと、恵文社に行ったこともないのにお調子者根性で決めてしまったのです。心平君がいなかったらどうなっていたか、これがホントの「甥の七光り」なんちゃって、これが言いたかっただけであります。

また日記が長くなってきてしまいました。
お急ぎの方はここらでどうぞリタイアを・・・・。

僕の落語の師匠で詩人の八木忠栄さんから借りたNHKの「立川談志・71歳の反逆児」を見ました。

めちゃんこ感銘を受けました。談志師匠ほど毀誉褒貶に晒されてきた落語家もいないと思いますが、古希を超えたこの師匠の高座に触れたら(出来のいい時に限る)その凄絶な語りの芸に純粋に感動するのではないでしょうか。時には師匠があまりに先鋭的なシュルレアリストに見えるほどなんです。
番組のなかで爆笑問題の太田光が談志こそ唯一の天才だと言ってましたが、天才かどうかは別にして唯一無二の存在であることは間違いないと思います。

数年前に吉祥寺前進座で聴いた「らくだ」と2年前に甲府で聴いた「やかん」は僕の落語体験ベスト2です、って落語にあまり関心のない方はなんのことか分かりませんよね。ともかくこのTVドキュメンタリーはすごかった。落語は人間の業の肯定だと若い時に言い放った談志70を超えて我が業とのすさまじい葛藤をさらけ出して見せる、これも業なのかとちょっと暗然とした心地にもなりました。

でも、印象的なシーンが満載されておりました。
ベトナムでの高座で十八番の「芝浜」を途中で言い淀み、話を飛ばしてしまい心底落胆する(たぶん)談志の表情、九州の落語会で「ここは笑うとこかい?」と客の無防備の笑いに腹を立てるシーン、行きつけの銭湯でやせこけた体をカメラに撮らせてでも上機嫌で風呂を出て踊るシーン、前座から二つめへの昇級試験で見せる鬼のような師匠としての正しい迫力、死にたい、もうダメだと繰り返しする独白、実際の高座のシーンの数々・・・DVDにダビングしたのでこれから何度でも見たいと思うのでありました。

ちなみに4月14日は前進座での「談志一門会」いい席がとれました。

さて、長くなりついでにもうひとつの話題で〆ますね。
でもここからがまた長くなりそう、ああ、おヒマなのねえ〜。

最近、昔買ったままずっと読んでいなかった辻征夫の詩集を読んでいる。
ライトヴァースというのか、やさしい言葉、軽妙なタッチで結構深い機微をついているように思う。
好きな詩がたくさんある。現代詩文庫の裏表紙の推薦文で谷川俊太郎さんが、だれかに読んで聴かせたくなるような詩だと書いていたが、本当にそうで、この前いつも行ってる吉祥寺の中清という蕎麦屋で、辻さんが20数年前友人の詩人・清水昶氏のことを書き込んだ詩を20数年後のいま、当の清水昶と同じく中清の常連で畏怖措く能わざる舞踏家・麿赤兒さんをを前にしていつものかすれ声で読んだのでした。思潮社の現代詩文庫『続・辻征夫詩集』の「濡れている樹木」という詩です。興味のある方、大きな本屋で立ち読みしてくださいね。昶詩人は、そんなこともあったなあと思い出したようでしたが、週に2度くらいは会っている昶詩人の20数年の時間が辻さんの短い散文詩から零れ出てきたようで不思議な心持ちになったのでした。

昶詩人はいつも同じ席にすわって同じ帽子をかぶって必ず紫煙をくゆらせ日経新聞をひろげ(中清には日経と中日スポーツしかないのだ)俳句手帖もひろげ、ときおり電子手帳もひろげ、「なあ、みなみさんよぉ、なんでなの?」と平仮名でなんどもなんでも尋ね、「みんな死ぬ」とひとりごちし、毎日ぬる燗の酒を大体五合くらいは飲んで、よろりと立ち上がって「じゃあ」と言って帰るのです。

僕が18歳だったころ、池袋の古本屋ではじめて買った現代詩の詩集が、出たばかりの清水昶の『少年』という詩集だった。中村宏の装幀で見返し扉に赤いセロファンが使われていた。当時清水昶は28歳、すでに日本の詩壇では若きヒーローのひとりだった。
僕はそれまで中原中也くらいしか読んでおらず、清水昶の詩によって日本現代詩の森に導かれることになったのだった。
以来、詩はずっと好きでまあけっこう読んで来たほうではないかと思う。
清水昶とはそれから20年以上経ったある日、吉祥寺のいまはない下駄屋という友人の店で偶然出会い、「これがあの白皙の秀麗詩人清水昶か・・・」と驚愕したのだった。なぜって、そのころの昶詩人はほとんどアル中状態で飲んで忘我の境に泥のようにへたりこむ様はちょっと異様だったのだ。でも僕はすぐに親しくなった。彼は無垢な酔いどれ詩人だったと思う。

そんな清水昶氏といまでは最も頻繁に会う友人付き合いをさせてもらっているのは本当にありがたく幸福なことだと思う。でも彼は最近ほとんど詩を書いていないようなのだ。隣に座ってしばし時を過ごせば、彼が生粋の詩人だということはすぐにわかるのだが、詩を書かない詩人というのはなぜか、さびしいようなほっとするような不思議な感慨を抱かせてくれますね。

まとまりのない近況のおわりは、28日に終わった我が甥っ子・山田心平の青山・ビリケンギャラリーでの個展を見ての帰り、マイミクの木版画とテラコッタの才媛akemita姫と絵本編集者suko氏と心平と4人で行った、青山の「こいし」という居酒屋での話が面白かったなあ、と・・・内容は心平の作品について、木版画について、絵本について、友人たちのうわさ話とあとはいつものように超くだらないギャグの応酬(ホントは自分ひとりで応酬?)ってとこだけど、この「こいし」っていう居酒屋は家庭料理がめちゃうまいし、店の雰囲気もお客さんの感じもナイスですごく落ち着ける店なんですよ。

でもちょっとばかり変わってるのは店のマスターが完璧にOKMさんで、若い男にしか関心を寄せない一本ビシッと筋を通すおヒトなんです。甥っ子である心平もsuko氏もはっきり美少年なので、この店に連れて来たらどんなことになるか楽しみ(どういう趣味なんじゃ!)だったわけなんです。
でもさすが甥っ子をマスターの餌食にするわけもいかず、suko氏にマスターの手の届く席に座ってもらい、まあ僕やakemitaも心平も楽しませてもらったってわけですが、帰り際にsuko氏に彼女がいると知ったマスターの「まあ、不潔ね!」のひとこととその後のテンションの落ち方がまたおかしいのなんのって・・・。

なんかどうでもいいような事書いてるよね。ここまで読んでくださる方は稀だとは思いますが、ながながとありがとうございました。

写真は「美しいハナモモ」「みんなそろっていいお顔!」「万華鏡を見るために並んで待ってるこどもたち」

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# by kuukuu_minami | 2007-05-16 23:18
ユーリー・ノルシュテインのこと
ユーリー・ノルシュテインは彼のアニメーション作品を見たことがある人なら文句なしに尊敬を捧げる芸術家だと思います。

もう何年も前のことですが、ノルシュテインが日本に滞在している時に、彼の最も親しい日本の友人・みやこうせい、児島宏子宅で開かれた小さなパーティにスズキコージや片山健さんたちと共に呼ばれたことがありました。
その夜のことはいまでもよく覚えています。酒と笑いと歌とが行ったり来たり、ユーラ(親しい人はこう呼んでいます)も気持ちよく酔ってロシアの子守歌や童謡をやさしく歌ってくれた、あの時間は夢のような記憶として残っています。

その後、彼はボクが経営していたKuuKuuという店を気に入って、東京に滞在している間は何度も足を運んでくれたものでした。グルジアワインを飲みながら店の隅々をゆっくり見てまわるのが楽しみのようでした。ときおり、コースターにハリネズミのデッサンをさりげなく残して・・・ユーラはKuuKuuを愛してくれていたらしいのです。閉店を知ったときのユーラの悲しみはいまでもよく話題になるのですが、そのことを書いているとキリがないし、寂しくなるので、つい最近感動したノルシュテインのことを少しだけ書きます。

12月5日、今回の日本滞在のスケジュールの最後の日、阿佐ヶ谷のラピュタでのパーティにみやさんから突然誘われ、ちょっとだけ顔を出して、その後の数時間を西荻のみやさん宅で過ごすことになり満月の下4人で歩いてみやさんの家に向かいました。

家に着くとユーラはさっきのラピュタのパーティのときに若い女性ファンからいただいた小さな竹とんぼのおもちゃを取り出して、これを壊れないようにロシアに持って帰るために宏子さんにちょうどいい箱がないか探してもらっていました。いろいろな箱が取り出されましたが、ちょうどいい大きさのものがなく、ユーラはカッターとはさみとセロテープで大きめの箱を小さな箱に仕立て直しはじめました。竹とんぼはたぶん300円くらいのどこにでもあるような素朴なものですが、ユーラはなんども大きさを確かめては器用に箱を仕上げました。ボクはそばでその姿を見ながら、なんか感動してしまいました。まるで少年が自分の宝物をしまう箱を無心に作っているように見えたのです。自分のために選んでプレゼントしてくれた若い女性ファンの気持ちが彼にとっては宝物だったのでしょうか。

きれいに紙箱におさまった竹とんぼを見て、ユーラははにかむような笑みを浮かべました。素晴らしい人だと思いました。
その間、みやさんはいそいそと北海道から送られてきた蟹をテーブルに並べたり最後の晩餐の支度をしていました。そのうちにみやさん撮影のノルシュテインの写真集を出版した未知谷の飯島さんやロシア語がとても上手なKさんもやって来て賑やかな宴になりました。
ビールと大きな2匹の蟹が瞬く間に平らげられ、みやさん秘蔵のルーマニアのスピリッツ「ツイカ」が振る舞われるころにはみんなすっかり上機嫌です。

ボクは明日ロシアに帰るユーラになにかプレゼントしたくなったのですが、鞄の底をはたいても何も出てきません。そこで、夜自転車で帰るために持っていた毛糸の手袋をユーラに渡しました。それはわが妻がNY公演の折りにお土産として買ってくれた「記念の手袋」だったのですがユーラにならあげても叱られないだろうと、思ったのです。ユーラは嬉しそうに自分の手に手袋をはめていましたが、どうもユーラの手には小さ過ぎるようなのです。さっきの紙箱を作っているときのように、一生懸命それぞれの指にはめようとしているのですが、「うーん、小さいなあ」とため息をつくので、ボクが「フランチェスカにはどう?」と言うと、ユーラは「そうだ、フランチェスカならちょうどいい!」と嬉しそうに笑ってくれました。フランチェスカはノルシュテインのデッサンをもとにアニメーション作品の作画をしている、ユーラの最愛の奥さんです。
ロシアの冬の寒さのなかでフランチェスカがあの手袋をしてくれているのを想像するだけでボクもほっこりしちゃうわけです。

ユーリー・ノルシュテインの作品はいまではDVDで簡単に手に入りますし、下の画像のみやこうせいさんの写真集も素晴らしいです!未知谷刊です。未知谷からはボクの本も2冊出してもらってます。ついでにヨロシク!
http://www.michitani.com/

よく同時代に生きていることの幸せ、っていうような事を聞きますが、ボクにとってはユーリー・ノルシュテインがその人かもしれません。ありがたいことです。
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# by kuukuu_minami | 2006-12-17 11:13
韓くにの桃
テラコッタ作品集『桃の楽々』に収めたエッセイのなかから、珍しくちょっと真面目に書いた文書を再録します。僕の来歴にまつわる話ですが、ふむふむさようか、と読んでいただけたら嬉しいです。
『桃の楽々』はHPの「絵本など」に解説をつけてあります。


 韓くにの桃

 この作品集に収めた作品のなかには韓国ソウル郊外の工房で作ったものも数多く含まれている。表紙につかった作品もはじめてソウルで作った作品のうちのひとつだ。韓国の土で作りたい、できれば韓国の火で焼きたいというのは永いあいだの夢だった。

 韓国人の父と日本人の母のあいだに生まれた僕にとって、韓国的なものとの出会いと相克は幼いときからの避けられないテーマだった。振り返ってみれば、自分が半分の日本人、半分の韓国人であるという事実を事実として受け入れることができるまでには随分長い時間が必要だった。
 十八歳の時に父の願いに折れるようにして、初めて韓国を訪れた。下関から小さな関釜フェリーに乗って釜山の港についたのが韓国の最初の一歩だった。どこからともなく流れてくるキムチの匂いが鼻を突いた。がにまたのオモニたちが頭に大きな荷物をのせて歩いていた。まったく読めないハングルの看板が船酔いをさらに深めるようにぐるぐる回っていた。
 釜山でもソウルでも町には活気があふれ、至るところで道路は掘り起こされ、煉瓦作りの急造ビルが立ち並んでいた。不思議な懐かしさが満ちてもいるようだった。
余り気乗りしないまま参加したソウル大学での夏季学校で一ヶ月の語学研修と歴史教育を受けた。そこで初めて同じ境遇に生まれた同世代の人間たちと出会い、寝食をともにすることとなった。多くは関西から来た青年たちだ。彼らはほとんど関西漫才のノリで、ひたすら明るく元気でやんちゃな学生たちだった。あんな風になれたらとは思ったが、その頃はかなり内向的だった僕には誰ひとり友だちもできなかった。
 
 ひと月の夏季学校が終わり、迎えに来た父と父の故郷である慶尚南道・晋州に向かうことになった。生まれて初めて乗った飛行機は小さなプロペラ機で上空からは手にとるように韓国の景色が見えた。緑の少ない山野に藁葺き屋根の農家の集落が見え、ところどころに大陸的な大きな河が蛇行していた。あまり予想はしていなかったが胸がキュンとなるような郷愁に襲われた。それはそれで美しい風景だったのだ。
 晋州にも大きな河が流れ、町はしっとりと落ち着いていた。ホテルに着くとすでに何人かの親戚たちが集まっていて、抱きかかえるように歓迎してくれた。
 翌日のことだった。ひどく暑い日だったことを覚えている。何人もの人々が同行して先祖の墓参りに行こうということになった。市内から車でずいぶん走ったような気がする。
 車を降りてから、辺鄙な山奥のそのまた奥といったところにある祖父母の墓をめざして山道を列になって登り、汗にまみれ藪をこぎ虫に刺されながら歩いた。お墓はそこだけ開かれたような日当りのよい急な斜面にあった。草に覆われたこれ以上ないくらいに素朴なふたつの土饅頭がこんもり盛り上がっていた。土に還るという形容がぴったりの墓だった。
 見慣れない朝鮮式の儀礼のあとに、見よう見まねで土饅頭に手をついて額をこするようにした時、不意に自分を襲った底から突き上げてくるような感情はなんだったのだろう。後にも先にもあんな号泣状態に陥ったことはなかった。堰を切ったように涙があふれ出てきたのだ。
 
 ものごころついた頃から「自分はどこから来たのか?そしてどこへ行くのか?」というどうにも答えの見つからない問いに囚われていた僕は、この草茫々の粗末な土饅頭の下で眠っている祖父母と宿命的に出会ってしまったのだろう。きっと「おまえは他のどこでもない、ここから来たんだよ」と教えられたのだ。
 その日、さらに多くの父方の親戚に会った。韓国人は情に篤いとはよく言うが、この親族たちの情もあまりに篤い。ほとんどまったく言葉のわからぬ南家の嫡子の前に数え切れない親戚の者たちが現われ、みなが泣いて笑っている。貧しい田舎の村なのだが、これを喰えこれを飲めと、手をにぎり体をさすりながらもてなしてくれる。村中が湧きたっているような感じといったらおおげさだが、僕の実感としてはそのようだった。
 その日の夜に父から初めて聞く父の来歴、韓国の家族たちのはなしは僕を驚かせるに十分なものだったが、それより村の黄昏時にもう食べられないというのに無理やり食べさせられた素麺にあたったのか、空前絶後の激しい下痢が続き、「おやじ、そのはなしは明日にしてくれ」と言うのが精一杯。往診の医者の打ってくれた下痢止めと鎮痛剤のおかげか夢うつつに朝を迎える頃には少し楽にはなっていた。そしてなぜだか、昨日の涙の意味が自分には痛いように分かる気がしてくるのだった。それははじめて自分自身と和解できた日だったのかも知れない。
 父から聞いた話はここでは触れないが、まあ、大変な人生を生きて来た人なんだな、と不思議なほど父を愛おしく思えるのだった。

 あの夏の日から三十五年という歳月が過ぎた。いまでも、自分の「生きること死ぬこと」に思いを向けるときに必ず、あの土饅頭の墓の情景と、まだ貧しかった故郷の小道を歩く家族の一群の情景がなつかしさの感情とともに胸を去来する。
すでに父も母もなく、二歳違いの姉も亡くなり、一緒に土饅頭の墓に参った親しい親戚の者たちの多くも土に還っていった。そして七年前には亡くなった父のために、晋州市郊外の山のなかに新しい土饅頭を造ることもできた。

 ヒトは「土偶の人」になるために生きて死ぬ、そんな思いが僕の頭のかたすみに棲んでいる。
                         (2004年9月記す)
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# by kuukuu_minami | 2006-11-18 01:28
恵比寿で個展開きます。



すっかり秋ですね。散歩のあとの一杯がおいしい季節です。

10月24日から29日まで東京・恵比寿のギャラリーMalle(まぁる)で8月に未知谷という出版社から刊行された『桃天使さん』の記念展を開きます。
「ギャラリーまぁる」はとても小さな画廊ですが、恵比寿にありながらコテッジ風の入り口が素敵なギャラリーです。
『桃天使さん』に収めた原画と新作を交えて展示します。あたらしい技法で描いた桃天使さん、かわいいのが出来ましたよ。(自画自賛!)
いつものようにテラコッタや絵本、カード、Tシャツ、てぬぐいなども置く予定です。

期間中の午後3時くらいからはボクも行ってると思います。おいしいワインも用意しておきますので、久しぶりにアホらしいギャグを聞いてやろうかと思ってくださる方、ぜひお立ち寄りくださいね。(もちろん、初めての方も!)

2006年10月24日〜29日
12:00〜19:00(29日は16:00まで)
ギャラリーMalle(まぁる)
渋谷区恵比寿4−8−3
tel(03)5475-5054
地図が読みにくい方は電話でお問い合わせください。f0067255_1212771.jpgf0067255_1221617.jpgf0067255_1231560.jpg
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# by kuukuu_minami | 2006-10-17 12:03
夏の庭で起きたこと
もう夏が過ぎようとしているこの頃

我が家のさるすべりがようやく花咲いてきた

もともと遅咲きタイプだったけど今年は遅すぎるね

我が家の夏の庭ではことしもいろいろなことが起こった

やまぼうしの木のてっぺん近くに野鳥が巣をつくっていた

美人庭師の小川さんが巣の中にたまごを四つみつけたのが7月22日だったか 

夕方見上げてみると親鳥が巣を抱いていた

ひよどりかと思ったが嘴のかたちが違うような気がする

人の気配を感じると巣からはなれて注意をそらそうとして、また舞い戻ってくる

何日もそうやって巣を抱きつづけていた

8月になると猛暑つづきでやまぼうしのてっぺんは異常な暑さになっていただろう

いつから巣抱いていたのか、たまごを生んでから3週間前後で孵化するはずなのだがもうずいぶん経っている

東京にも豪雨が降り注ぐ日が何日かあった

親鳥はその雨のなかでもじっと抱いていた

2階の窓からそっと見るその姿は感動的だった

豪雨のせいか巣が傷んできているようだった

7月22日からでも3週間以上経った日、親鳥の姿はなかった

たまごは孵らなかったのだと思う

雛の啼く声を聴くことができなかった

親鳥はどの瞬間にあきらめて巣を捨てるのだろうか

去年我が家の庭から巣立って、ひな鳥の飛び立つ瞬間を見ることができたので、今年もと期待したんだけど、残念だった

雨の多い時期にはやたらみみずが多かった

なんの手入れもしない庭なので降り積もる枯葉が養分になるのか、太く元気なみみずやだんごむしが平和に棲みついている

名古屋の展覧会もあとふつかの8月26日

家を出て東伏見の駅に向かおうとしたところ

庭に面した路地のはしに子猫がうずくまっていた

覗きこむと生後2〜3週間の灰色の子猫が息もたえだえにもがいていて顔をあげることもできないでいる

新幹線の時間もあるし困ったなあと思ったが、家に戻りミルクと缶詰のえさをこまかく砕いたのを皿に入れ、きっとダメだろうと思ったが子猫のそばに置いて、また駅に向かった・・・

途中、我が家でまどろんでいるだろう三毛姫のももちゃんの顔がうかび、また子猫のところにもどった

指にミルクをつけると口元についたミルクを小さな舌でなめてくれた、でも鳴くこともできないで小さくもがいている

抱きかかえてみると羽のように軽い

瞳がつぶらでしょぼしょぼしてる

家のなかにいれるとももちゃんがパニックを起こすおそれがあるので、家の外に置いてある作業台の下の桶にタオルを敷いてミルクの皿だけ置いてまた駅に向かった

妻はそのとき長野の実家に帰っていて夜にならないと帰ることができない

電話するとオロオロした声で、大丈夫かななあ、死んじゃうんじゃないかなあ、夕方までには帰ってももちゃんが世話になってるお医者さんにつれて行くと言ってくれた

夕方名古屋から電話すると

桶のなかの子猫はまだ生きていて何度も呼びかけると小さく鳴いたらしい

獣医にみてもらったのだが、からだの中におおきな怪我をしていて、しかも体温が異常に低くきょうがヤマだろうということだった

家に連れて帰った妻は先生の言ったとおりスポイトでミルクをあげて体をあたためてあげて看病したのだが、夜の10時過ぎ激しかった息づかいが急に弱まり、でも最後のひと息はすべてをはき出すように大きく吐いて、短かった命を閉じたという

ボクが帰るまではこのままにしておくからと、「みかん」と名前をつけてあげて、氷枕をいれ花もいれてあげてお線香をたいて、ももちゃんが入れない部屋に安置してくれていた

名古屋の仕事をすべて終えて帰って来た

みかんは小さな段ボール箱のなかに静かに眠っていた

からだは冷たかったが死んでいるとばかりは思えなかった

薄暗くなった庭の小さなみかんの木の下を掘って、みかんちゃんを埋めてあげた

もちろん祈りのかたちをしたちっこいテラコッタをそこに置いた

今年の我が家の小さな庭で起きたこと

今頃になってさるすべりの花が咲き始めたのが
ちょっと不思議です
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# by kuukuu_minami | 2006-09-13 13:15
夏の終わりに
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「くうくうさんの夏祭り」
 
 今年の夏はなんといっても名古屋での絵本原画展が大きなイベントでした。
「ちゅうでん教育振興財団」の絵本原画の森というシリーズ企画の第3弾として、なぜか全国的には無名に近いこのワタクシがご指名を賜り、8月16日から27日までと日程はそれほどでもなかったのですが、なにしろ320平方メートル(約100坪)という途方もない広さのギャラリーを南椌椌の作品で埋めるというタイソレタ仕事をナントカこなして来たのです。
 
 終わってしまった展覧会のことを細かく説明しても仕方がないですが、この企画は略して「ちゅう教振財団」(勝手に略すなって、スイマセン)の大きな懐ぐあいに依るところ大のものでして、昨年12月の「ことの次第のはじまり」からほとんど何のトラブルもなくトントン拍子でオープニングまで漕ぎ着け、ロシア生まれの電子楽器テルミンの演奏家竹内正実さんとそのグループ・マーブルさんとの朗読コンサートや、名古屋のこどもと絵本を作ろう!ワークショップ「ないてわらってねむりんこ」やいきなり始まる「くうくうさんのサイン会」など会期中のイベントもにぎにぎしく、終わってみれば有効入場者数6500人という、ほとんど「なんじゃそれ?」的盛況だったのでした。
 
 会場の展示も、来てくださった方は一様に「ほうーっ!」と声をあげておりましたが、作品の展示位置がこどもの目線の高さに統一され、親子連れの方々もこどもを抱っこなんかしないでも作品を見せられるという画期的?な心くばりがなされておりました。そのぶん、天上までのスペースが広くなったのですが、写真でおわかりのように、我が友sunuiの4人が作ってくれたくうくうさんの絵入りフラッグがお祭り感覚をくすぐってくれる飾りものとしてはためいておりました。
 100坪という空間に7冊の絵本と画文集の原画、オリジナル作品も含め、ほぼ130点と大小テラコッタ90点あまりという、きっとボクには二度と訪れないビッグ企画でありましたが、過ぎてしまえばあっという間の為五郎、あっ、あれはあっと驚くんでしたね、まあ同じようなもんですね。     
 30日に搬出された作品たちがクロネコ便の美術搬送専門スタッフによって我が家に到着、いまもその整理作業中のブレイクタイムでこれを書いてるというわけです。
  
 これらの企画の一切を担当してくださった財団の吉川由紀さん、本当にありがとうございました。吉川さんの発想と決断力、実行力、すべてが素晴らしい!それになにより明るい!彼女のおかげでボクはゆったり大船に乗った気分で大航海を満喫したのでござる、でした。
 そして吉川さんの属する財団の局長の寺尾祐樹さんの悠揚なふところの深さにも感激いたしました。内部的にはいろいろ問題があったでしょうが、いつもにこにこ笑ってくださるその姿には救われました。寺尾さんにはご自宅にまで招待していただき、まったく不釣り合いとも思える?!美人奥さんの手料理をごちそうになりました。おいしかった!です、ありがとうございました。
 
 思えば昨年12月の新井薬師土日画廊での個展に吉川さん、寺尾さんおふたりで足を運んでくださったことからこの企画がはじまったのでした。あの住宅街の一角の普通の民家の2階の画廊に靴を脱いで上がってくださったのが始まりだなんて、縁は奇なりなどと言いますが、なんとなくそんな気もしないでもないこの頃であります。
  財団のほかのスタッフの方にもすっかりお世話になってしまいました。今後末永く「絵本原画の森」シリーズが大盛り上がりで続きますようお祈りいたします。会期中会場整理の仕事をしてくださったパナソ(でしたっけ?)の美女軍団のみなさま、お疲れ様でした。最後の打ち上げも楽しかったですね。
 また、絵本やグッズ販売のブースを仕切ってくださったBAGの郷治さん、ありがとうございました。入場者の数の割には売り上げがあがらなかったと思いますが、ボクとしてはBAGさんと出会えてとても嬉しかったですよ。今後、いろいろとお仕事ができそうでとても楽しみです。近々、東京で打ち合わせをかねて飲みましょう!

 名古屋には打ち合わせも含め6往復くらいしましたが、これまであまり縁のなかった名古屋がずっと親しくなったのは言うまでもありません。これからは京都などに行くときに途中下車して、お世話になった方々と一献かたむける機会も持てそうです。結局それが一番の収穫だったりしてね。

 最後になりましたが、東京や湘南、浜松、山梨などからもたくさんの方が見に来てくれました。ゆっくり愛知のお酒でも飲みたかったのですが、時間がとれず失礼しました。これからも、のらくらちちんぷいぷい路線でがんばりますので、引き続きご贔屓お弁当のほど、(ご鞭撻です、おわかりですね!)よろしくお願いいたします。

 そんなところで「くうくうさんの夏祭り」のささやかな報告会おしまいであります。
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# by kuukuu_minami | 2006-09-01 18:37
絵本原画展へのお誘い
http://www.chuden-edu.or.jp/oubo/ehon/index.html

8月16日から名古屋市の電気文化会館のギャラリーで「くうくうさんの夏祭り」と題して大きな展覧会を開きます。
中部電力の「ちゅうでん教育振興財団」の絵本原画の森というシリーズ企画の3回目です。詳しいことは上のURLをクリックしてみてください。(開かなかったら、面倒ですが「ちゅうでん」で検索して「ちゅうでん教育振興財団」のHPを見てください。スイマセン!)

きょう、搬入した130点くらいの絵と90点以上のテラコッタの確認と額装作業に立ち会うために名古屋へ行ってきました。

額装は素晴らしかった!
プロフェッショナルの仕事というしかない見事さで、ボクの作品がどんどんグレードアップしてゆくのです。びっくりしました、ホントに。
ちゅうでんの担当の吉川さんが選んでくれたマットの色もどれも作品に見事な衣装を着せてくれていて、われながら「なんていい作品なんだ!」と叫び声をあげたくなるほどでした。
きっと、いい展覧会になると思いますよ。
この話を吉川さんからいただいた時、その規模の大きさに実はかなり気後れしたのですが、きょうになって、やっとお受けしてよかったと思ったのでした。

展覧会に会わせて出版された『桃天使さん』と『くうちゃんがないた』の原画も展示されますし、絵本やいろいろなグッズも販売されます。
名古屋は遠いと思われる方も、この夏の予定に組み込んでくださってはいかがでしょうか。椌椌の作品をこれだけまとめて見る機会はこんどいつあるのか、もうないかもね、というくらいすごい規模の展覧会になりそうです。うーん、ムリしてでも見に来てほしいなあ!

ボクは8月16,17,19,20,26,27日は会場に行ってます。

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# by kuukuu_minami | 2006-08-10 02:00
どくだみはいい
梅雨の束の間の晴れ間、きょうは一日中庭仕事をした。
庭師の友だちに来てもらい、繁茂しきった庭木の剪定や伸び放題の雑草取り、など久しぶりに汗をかきました。途中、美人庭師の小川さんがやまぼうしの木のてっぺん近くで野鳥の巣を発見、なかに卵が4つ産み落とされていました。去年庭から巣立ったひよどりが帰ってきたのかとも思ったけれど、警戒してか親は声だけすれど姿はみえず夕暮れになりました。見つけられてもちゃんと巣抱きしてくれるといいんだけどな。

今年もこの庭からはたくさんのドクダミを摘んで干してドクダミ茶をつくった。
やかんで煎じて飲むドクダミ茶は最高です、本当においしいしからだにいいってことが実感できるのだ。
そのドクダミもきょうの庭仕事で一掃されました。
この時期になると葉がかたくなりすぎてお茶には適さないし、盛りを過ぎたドクダミはなんだか心細く肩寄せ合っている。それを無慈悲にも全部摘んでしまったのだった。
ドクダミ君、来年また会おうね!

というわけで、今年がんばってくれたドクダミ君のために詩と俳句を書いたので、ここに公表して長くその栄誉を称えたいと思います。(アホか!)
詩は新井高子さんの個人詩誌に掲載してもらったもの、俳句はボクが入ってる「かいぶつ句会」の句集に載せたものです。
どちらも、ドクダミ茶で幻覚症状に見舞われたまま書いたもので、作品の質や内容に関しては一切の責任をボクは負わないことにしています。文句のある方は自家製ドクダミ茶を分けてあげますので、熱いお茶にして飲んだあとのご自分の体でもう一回読み直してみてください。この作品になにを言ってもムダだということがおわかりいただけるかと思います。

でも、やっぱお気楽な作品でした、はい。

風雅の技法
                       南椌椌

どくだみの花が咲きはじめた
どくだみはいい
花のついたうちに摘んで
軒につるして数日干すと
甘にがい香りが鼻をくすぐる
ふしぎなものだどくだみの束が
軒にぶら下がっているのを見ると
自分が少しえらくなったような気がする

頃合いをみて軒からおろし
あとは揉みしだきながら袋に詰めて
朝夕と煎じて飲む
乾燥の具合がよければ絶妙の味になる
からだの芯がゆくりなくあたたまり
尿道のあたりまでほのぼのする
だれかにゆえもなくおじぎしたくなる
どくだみはいい

ひとが遊びにくると
ひとふくろづつ持たせてやる
彼らは飲んでいるのだろうか
いやきっと飲んでいるだろう
動悸がしたり顔がほてったり
つまらないことが気にかかるとき
どくだみをほらまるく口に含めば
少しは上手に忘れられる


どくだみの庭には
なぜか猫が来ないような気がする
あの匂いが好きではないのか
いつもならひだまりにまるくなって
無断で脱糞するのらのトリオが
この季節はとんと現れない
わかってないなあ、のらのトリオ
猫草かわりに食してみればいいのに

どくだみどくだみどくだみと
この際とばかり三度唱えてみた
なにかが見えたわけではないが
どくだみに対する情愛はたしかに深まる
思いは声にだしてみよう
ありがとうとかごめんとか
素朴すぎていやみな物言いだろうか
どくだみどくだみどくだみ

ぼくの庭にどくだみが咲いてくれる
白い花は花瓶に生ければ乙なもの
この季節どくだみのことを考えると
からだも気持ちもくすぐったくなる
どくだみを愛でて摘んで干してそれだけ
おおげさなタイトルをつけてしまったが
これがぼくの風雅の技法
どくだみはいい



「どくだみはいい」俳句篇
               南々桃天丸(俳号です)

どくだみの匂い揉んでさらに愛で

どくだみを軒端に干してただ見てる

どくだみや白き花たちに日と雨と

やれ踏むなどくだみ息して涙ぐむ

ドクダミ茶尿道あたため出でにけり

不眠ナレバドクダミ煎じて服スカナ

不作法がよしドクダミを瓶に挿し

どくだみやどくだみどくだみこんにちは

わが庭にどくだみ咲くやいただきます

どくだみを避けてのら坊脱糞す
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# by kuukuu_minami | 2006-07-22 21:11
熊ん蜂の襲来
絵本関係の友人、akaneさんのブログに茂田井武さんの俳句を紹介するページがあります。
茂田井武は絵本や挿絵の世界で素晴らしい仕事を残した、僕の大好きな作家ですが、絵ばかりでなく文章もスンバラシイ!のです。
架空社から刊行された『夢の絵本』はたしか<全世界子供大会への招待状>という副題がついた絵物語ですが、なんとも粋な文章とそこに付された挿絵の見事さに、僕の蔵書宝物の部のなかに堂々とランクインしています。(その割にいま探してみたのですがちょっと見つかりません。宝物はすぐには出てこないのです)

akaneさんが紹介してくれた茂田井武の俳句にこんなのがありました。

  友は見る 熊ん蜂の藤の花めぐるを

この句を読んで、すぐに『夢の絵本』を思い出したのです。
茂田井武の絵や文章に僕が感ずるもののひとつが、友だちの視線というのか、友愛ということばがふさわしいでしょうか、たとえそこに友の姿がなくとも感じられる友情というものの尊さ・・・。

熊ん蜂が藤の花のめぐりを飛び回ってるさまを俳句にしようと思えば、

 熊ん蜂 藤の花めぐって去るゆうべ  (椌椌の駄句ですまん!)

のような句でもいいのでしょうが、ここに友の視線、すがたを入れることで、熊ん蜂が藤の花のめぐりを飛んでいる風景にふしぎな広がりが生まれますよね。
なにげない句ですが、ボク的には痺れるような句なんです。

(ちなみにakaneさんが作ってらっしゃる「茂田井武びじゅつかん」という素敵なHPがあります。そのなかの「談話室」から茂田井さんの俳句紹介のページを訪ねることができます。まずは、びじゅつかんへどうぞ! URLは以下の通りです。)
http://poche.with.mepage.jp/motai/

で、ここから「熊ん蜂の襲来」という本題に入って行きます。

今年の4月中頃のことですが、真夜中2時頃自宅アトリエで仕事をしていたボクの背後で突然すさまじい羽音がしたかと思ったら、真っ黒い熊ん蜂がうなりをあげて襲ってきたのです。
我が家に来たことのある方はご存じのとおり、アトリエはテラコッタの制作も出来るように土間になっています。外からは地続きなんですね。でも、その時間は戸も窓もちゃんと閉じられており、外部から熊ん蜂が襲来できるような状態ではなかったのです。
にも関わらず、ボクのアトリエで大きな熊ん蜂がぶんぶんぶんぶん(脳のない擬音ですが)飛び回っているのです。血の気が引くとはこのこと、もし刺されでもしたら運が悪ければ、くうくう昇天ざまあみろ状態、になってしまうかも、なのです。

ところが、その熊ん蜂君飛び回ってるうちに壁にあたって床に落っこちてひっくり返ってばたついて、また飛びあがって壁にぶつかって落っこちてみたいなこと繰り返してるうちに、たまたま作業台の上にあったクレパスの紙箱に入ってしまったんですね。機敏で鳴るボクはすかさずアクリルの透明な板をその蓋にかぶせて、中の熊ん蜂君を観察してみたらその美しさは尋常じゃありません。黒という色があんなに美しいとはついぞワタシは知らなかったといっても過言じゃありません。胴体の艶のある黒、体毛の強く張りのある黒、気品があるんですよ、熊ん蜂君。

心やさしいボクは考えました。ここに囚われの身となった熊ん蜂君の生死を分かつ鍵はボクが握ってるわけで、このまま朝まで明日までこの箱のなかに入れておいてもいいのだどうしよう?やはりここは外に逃がしてやるべきだと、その箱を持ってガラス戸をあけ熊ん蜂君を逃がしてあげたのですよ。真っ暗な闇夜に真っ黒の熊ん蜂が飛び立ったのはその羽音でわかったのですが、どこをどう飛んでいったのかは分かりませんでした。

ボクはちょっと胸の動悸を感じながらも、感心なことに新しくでることになった絵本の原画を描く仕事に戻ったのでした。

まだ続きがあるんです。

それから10日くらい経った深夜の2時ころのことです。
ボクは感心なことにまだ絵本の絵を描き続けていました。
ラジカセからは古今亭志ん生の落語「替わり目」が流れていました。
するってえと、またまた背後ですさまじいうなり声が聞こえるんです。あれはホバーリングというのでしょうか、この前の熊ん蜂君かまた別の熊ん蜂君かはわかりませんが、えらく活きのいい熊ん蜂がぶんぶんぶんぶん(芸のない擬音ですが)飛び回ってるじゃありませんか。ボクは全身鳥肌状態になって窓の外に飛び出して空高く・・・いや正直怖くなりましたね。10日前の事件のあと、もしや巣でもと、アトリエの中をくまなく点検してあったにも関わらずですよ。

このときはボクは鬼になりました。
生きるか死ぬかの瀬戸際には人間は鬼になることを選ぶのだと我が身ながらに知ったのです。この夜の熊ん蜂君も飛び回っては壁にあたって落っこちてひっくり返ってばたついているのです。美しいわりには熊ん蜂ってアホなんでしょうか?ボクはひっくり返った熊ん蜂君の上に履いていたサンダルを振り下ろしました。こういうことは飲食店経営者として、やはり黒いゴキブリ君退治で慣れていたので、一発命中でこの熊ん蜂君は昇天してしまいました。友情も友愛もないもんですね、茂田井さん。

それにしても、熊ん蜂君はどこから襲来してくるのだろう?
昼のあいだ戸を開け閉めしてるうちにさっと入って来て、深夜襲来の機をうかがっているのか・・。考えても考えてもわかりません。
2度あることは3度あるかも、と思いながらもまさかと思い、ボクは感心にもふたたび絵を描きはじめました。

3度目はすぐにやって来ました。
ものの20分も経ってなかったと思います。
志ん生の落語は3席目の「水屋の富」になっていました。
するってえと、これまでの2度とまったく同じ背後から、まったく同じぶんぶんぶんぶんといううなり声をあげながら、凝りもせず熊ん蜂君が襲来して来たのです。

な、なんなんだあ!!
このうちは熊ん蜂に呪われているのか?
ボクはまたしても鬼にならなければならなかったのです。
この熊ん蜂君もやはり壁に当たって落っこちてひくり返って・・・アホなのか無垢なのか、なんかボクの内に悲哀の感情さえ湧いてきましたが、仕方がありません。さっきと同じようにボクはサンダルを振り下ろしました。
3匹目の熊ん蜂君もあっという間に昇天されました。
ほかにボクのとるべき道はあったのでしょうか?深夜の密室状態で大きな熊ん蜂に襲われたたら、誰だってサンダルを手に取るのではないでしょうか。

さて、この時点でボクにすべきことは原因を探ることしかありません。
どこかに巣があるとしか考えられないのです。

だらだらと長くなってしまったので、結論を急ぎましょう。
原因がわかりました。
アトリエのボクの座る椅子の後ろに、かなり大きな木の切り株を中華鍋状のかたちに切ったものが置いてあります。檜原村に住む、書家であり陶芸家である藤原ジトさんから借りてある陶芸作業で使う道具です。前から気がついていたのですが、その板に直径7mmくらいの穴があいています。その穴を覗いててみたことはないのですが、このとき、ボクはその板を上下に強く振ってみました。すると中から例のぶんぶんという羽音が聞こえてくるじゃありませんか。

これかあ!これが巣だったのか!

熊ん蜂の習性は知りませんが、こうした木の穴を巣にすることもあるらしいのです。
この木は少し前までは外に置いたままにしていたので、いつのまにかそこに親熊ん蜂が卵を生み付けていたのでしょう。
そこから3匹、いやその後アトリエを掃除したら2匹の死骸も見つかったので、少なくとも5匹の熊ん蜂君がボクのアトリエで孵化したことになります。
ということは、ボクは孵化して初めてのホバーリングのあと飛び立ったばかりの熊ん蜂君を強引に彼岸へと旅立たせてしまったのでしょう。やんぬるかな・・・。

この板のなかでうなり声をあげていた熊ん蜂君はそのまま外に出したので、どこかへ飛び立ったかも知れません。翌日、板を振ってみても音はしませんでしたから。

こうして、この春の熊ん蜂襲来事件は一件落着したのでありますが、ボクとしてはいかなる時にも鬼にはなりたくないものだと、今はそう思っている次第です。

ああ、長々と書いてしまったなあ。
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# by kuukuu_minami | 2006-05-13 18:24
百済の桃
これも再録です。
新井高子さんという詩人の個人詩誌「ミて」に載せていただいた詩です。久しぶりに詩のようなものを書いたのですが、テーマはここでも桃。ちょっと長いけど、よかったら読んでみてチョーダイ!

百済の桃

処暑の意味を思い出そうとしながら
茫々の頭脳の夏が命じるままに
おぼろ豆腐を買いに隣町の新しい生協へ行ったのだ
暑さの夏は去れ、処暑よ来い

迂回して自転車はまた迂回して生協に着いた
おぼろ豆腐は賞味期限ぎりぎりの山積みであり
ほかに客の姿とて見えず
すこし不安になったがさもありなん
初めての店でおぼろ豆腐だけ買うのもなんだな
店内をぶつぶつとひとめぐりしたがやはり
おぼろ豆腐ふたつだけ買って外に出ると
夏の夕方だというのに空はまっ暗で
いまにも生半可ではない夕立がやってきそうな気配である

小走りで自転車を取りに行くと
鍵をかけ忘れた使用一年ほどの自転車は
案の定盗まれていて歩くしか算段はない

歩くのは慣れているがこのあたりには慣れてない
あちこちで猫が低すぎる姿勢で消えてゆく
折から大粒の雨が無情にも降りだした
よくは知らない道道で雨宿りせねばならぬ
遠くで響いていた雷鳴が今ではすぐ頭上で鳴っている
ついてないなあどうしよう生協まで戻って傘捜してみるか
濡れねずみのすこし手前で戻った生協は
あろうことかもう閉まっていていちめんに人影もない

暗い生協の軒をかりて待つしかないのだった
やがてふしぎなことだが
さらさらの蚊帳らしきものが目の前に下りてくる
雨のカーテンなどではないな
こういうのは決して苦手ではないはずと思いながら
夕立が去るまでの辛抱だと目をつむる

目をつむって目を開けば
あたりはすこしづつ明るくなりはじめ
なにやら白っぽい人影がゆらめいている
妙だなおかしいなと思って目を凝らしてみると
生協だとばかり思っていたそこは
いにしえの百済の都の野天の市場で
耳には親しいが意味のわからぬ古代半島のことばが賑やかだ

野天の市場ではさまざまな商いが立っている
人々は頭上にものをのせて麗しく行き交い
おぼろ豆腐をもって突っ立っている異邦の男などには
だれひとり目もくれぬのだ玄妙ではないか

これは夢なのか文学なのかと訝るほかはないのだが
ふと見ると長い髪を無造作にたばねた女がこちらを見ている
女は美しい仕草で桃を買えというのか
塔のようにまっすぐに立っている桃を指差して
あらがえぬ方法で手招きするのだ
十の桃をひとつづつ重ねて一本の塔にして
桃を売るのなど見たことも聞いたこともない危ういではないか

もとより桃は最愛の果実なりせば
いにしえの百済の都で桃を買うという経験は
これを逃したら二度とはあるまい
ももふたつとわが母国語を声にだす
女はたちどころに理解してふたつの桃をさしだすのだ
ああ、はて払いはどうすればよいのか
持っていたおぼろ豆腐をひとつさしだすと
百済の女はふたつほしいというまなざしで
もうひとつのおぼろ豆腐を正直に見ている
ぶつぶつ交換にしてはやや分が悪いが
百済の桃の誘惑には勝てるはずもない
百済の女はしなやかな手つきでふたつの桃を
つる草を編んだ百済のふくろに入れ
おまけだといってきなこ飴もふたつつけてくれた

きなこ飴をしゃぶりながら
ふしぎな百済ことばの渦を身にまとい
やはり玄妙なことだ面妖というべきか
生なりの装束の白っぽい人々のたたずまいに
われを忘れているとつめたい風が一陣また一陣
百済の都にもいきなりの夕立が襲ってくる
百済ことばで夕立はなんというのか
市場の白っぽい人々はあれというまに
そこかしこ足早に消えてゆく
桃売りの女もてのひらに盛った最後のおぼろ豆腐を
上手に口のなかに放り込むと
黄ばんだ行李をかかえて西のほうへ消えていった
忘れがたい百済の夏の光景である

さてこれからどうすればよいのか
考えるまでもないことだった
ふたつの桃をかかえたまま
濡れるにまかせ帰るしかないではありませんか
口のなかのきなこ飴のざらざらが
幸せなほどになつかしかった
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# by kuukuu_minami | 2006-04-28 10:05