人気ブログランキング | 話題のタグを見る
うまやはし日記
9月22日、浅草・厩橋の近く
「アノニマスタジオ」にもとまめ蔵・KuuKuuのスタッフ
リーダーこと高橋香織の作品展を見にに行った。

アノニマスタジオ刊の高山なおみの『日々ごはん』の最新刊の表紙を
リーダーが担当したことで開かれている記念展。
スタジオでは臨時のカフェがオープン。KuuKuu仲間のエバのいつもの絶品ジャムだけでなくガレット屋さん、それにおともだちのパン屋さんと焼き菓子屋さんもで大層おいしいカフェでありました。
エバのガレット+桃ジャムはいままで食べたガレットのなかで最高の味でした!
といっても、生まれて2回しかガレット(蕎麦クレープ)は食べたことがないのですが・・・。
絶対あれ以上うまいガレットなんかあるはずがない!

リーダーの絵や手作りバッグも格段にいい味を出すようになっていて、やはり社会で仕事をすることの意味があるなあ、とアノニマさんに人ごとながら感謝。

さて、厩橋といえば思い出す一冊の本があり
久しぶりに本棚から取り出して鞄のなかに潜ませて出かけたのが
詩人・吉岡実の『うまやはし日記』

吉岡実は学生時代からいままで最もよく読んできた現代詩人。
1919年に東京本所に生まれ1990年没。
生地が本所とあるが住まいは厩橋の近くだったらしい。

『うまやはし日記』は1938年から40年にかけて、若き詩人が徴兵検査を経て出征する頃までの日記。本格的な戦争までは若干時間のある日本の妙な気分と文学に生きたい若者のその日その日の小さな足跡が記されている。

友人や縁者のこと、その日読んだ本のことが中心なのだが、何度か読んでいるはずなのに虚飾ない簡潔な文章が常に新鮮で、後の詩人の姿を彷彿とさせる潔さです。

1921年には厩橋のすぐ先、吾妻橋付近で僕の母が生まれているので
『うまやはし日記』に出てくる当時の浅草界隈の映画館やカフェの様子などに
幼い母の面影を見たりして妙になつかしい気分に浸れもするのです。

短い日記の中からすこし引用。

昭和13年(1938年)8月31日
 貯金帳(八十円)と退店手当(三十円)を貰う。五年間の小僧生活の哀しさ、懐かしさ。店の連中と別れの挨拶。英子は「さようなら」の一言。葉子は「本当は好きだった」の謎めいた言葉。後輩二人と本郷三丁目の青木堂で珈琲をのむ。皆に見送られ雨の中を、自動車に乗った。夕方、厩橋の家に着く。荷物が本ばかりなので、母は呆れた。

昭和14年某月某日
 夕方より仮検査で本所区役所へ行く。高等省小学校のクラスメート山野辺、土切、中山、味方らがいる。初めは眼の検査だった。「眼がすんだ人は道具をすぐだせるようにしときなさい」の声に、どっと笑いがひびく。「チンポコを握られるなんていやだなあ」。みんな無事通過す。蔵前通りの南屋でコーヒーをのみ、談笑して別れた。

3月28日
 パニョル『トパーズ』、芥川龍之介の短編の再読。『ドミニック』読みはじめる。母に女の子の名前を考えてくれと言われる。みなみ 敦子 葉子 伊勢など。

4月3日
 雨。朝から本郷座へ行く。「望郷」のジャン・ギャバンは素晴らしい。となりの女学生も泣いていた。外は寒くふるえた。南山堂へは寄らず、赤門まで散歩。夜、ジイド『コンゴー紀行』を読む。一時間ほど習字。

4月21日
 洗濯。久しぶりでひっぱり出し、「新短歌」に目をとおす。あとは『月下の一群』。夜、家に行くと、母が茹卵をくれた。茹卵を食べると、不思議に桜の花が浮んでくる。

8月23日
 夕四時ごろ、支那そば屋の慶ちゃんの家にゆき、連れ出して浅草から上野へ出る。不忍の池でボート遊び。白や桃の蕾が大きな葉の中に見える。湯島天神下を通り、古本屋で『白秋小唄集』を求める。広小路の水戸屋でソーダ水や蜜豆を食べた。慶ちゃんのおごり。田原町で別れた。堀辰雄『聖家族』(江川版)が届いていた。

10月29日 
 暁の四時、空襲警報で起こされる。月が皓々と薄雲を透かしている。先生不在。南明座へ「たそがれの維納」を見に出かける。帰りの電車の中で警報を聞く。

書き写してるとキリがありません。
戦前の二冊の日記が焼失を逃れ、この『うまやはし日記』にまとめられたのは吉岡実の亡くなった年のこと。

22日のことをを吉岡さん風にまとめたら
9月22日
 厩橋のアノニマスタジオへ香織の展示会を見に行く。エバのガレットを食べる。なっちゃんも来たので少しおしゃべり。ひとりで吾妻橋から伝法院、花やしきあたりを歩き、立ち並ぶ屋台飲み屋で生ビールに煮込み、冷や奴。母の実家の墓がある寺の脇を通り田原町へ。地下鉄で神田に出て中央線に乗り換え吉祥寺。きょうの締めは中清の粗挽き蕎麦と日本酒で・・・だが、その前にまめ蔵に寄ってみると厨房シンクの配水管からの水漏れが外まであふれてていて、酔いも冷める。西友に行ってインスタントセメントを求め、水が外に出ないように工夫する。作業の終わりは12時を過ぎて粗挽き蕎麦も日本酒もおじゃん。スタッフも遅くまでお疲れさまでした。吉岡実の『うまやはし日記」を読み続ける。

こんな感じかな。
ちなみに吉岡実さんとは渋谷の百軒店の喫茶店で一度だけ会ったことがあった。あるダンス専門誌の舞踏特集の編集を頼まれ、吉岡さんに原稿のことで相談に乗っていただいたのだ。吉岡さんは土方巽、大野一雄、笠井叡ら舞踏草創期の異才たちの佳き理解者だったのだ。
お会いしたときは、まめ蔵をはじめて間もない頃、僕は絵を描き始めたばかりで、毎日新聞社主催の日本国際美術展に入選したという話をしたら「そうか、入ったか!」と嬉しそうに言ってくれた。当時の絵はいまとは似ても似つかない抽象表現主義風のリトグラフ、現代美術なら基礎もいらんからなあ、と思ってはじめたわけです。

その後すぐ、吉岡さんがまめ蔵の前をひょっと覗きながらゆっくり通り過ぎたのを厨房でカレーを作りながら見つけたのだが、オーダーが溜まっていてすぐに追いかけることができなかった。あんな路地を偶然通ることなどあり得ないから探してくれたのだろう・・・。その後会う機会を逸し、吉岡さんは1990年に亡くなってしまった。大いに悔やまれるのでありました。

『うまやはし日記」は書肆山田1990年刊
エバの日記はジャム作りが中心だけど写真も文章もセンスがいいよ。
http://blogs.dion.ne.jp/evajam/archives/8774261.html
by kuukuu_minami | 2009-09-27 13:46


<< ネパール、インドの旅 ディヌ・リパッティ最後のリサイタル >>