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凸凹ヘルスエンジェルス
 前回は初回だったからか、だらだらと書きすぎてしまった。ジャコメッティの作品にならってもっと削り込むべきでありました。今回は短くいきましょう。

 これも最初のヨーロッパ旅行での体験だが、旅行中いちばん印象に残った人物について書いてみたい。もう絶対に会うことが出来ないだろうひとりのスウェーデン人の男のことだ。

 1976年7月はじめ頃のことだから日本を離れてもう5ヶ月くらいの時間が過ぎていた。そのころはパリを離れて一ヶ月の英国オックスフォードでの生活やスペインやイタリアでの夢のような!日々を経験していたので外国での一人旅にもずいぶん慣れていたはずだ。僕は7月7日の七夕の夜を北極圏の街で過ごそうとメルヘン的に!思い立ち、北ドイツからデンマーク経由でスウェーデンにはいり、そのままノルウェーの北極圏の街ナルヴィクへ行こうという途次のことだった。

 スウェーデンのストックホルムは北国の無駄のない造形が印象的な美しい街だ。スペインやイタリアなどの飾り立てられたカソリックの国から来ると、真っ青な空に向かってそそりたつプロテスタント教会の直線的なかたちがやけに新鮮だった。僕はある教会の庭のベンチで本を読んでいた。するとそこにちょっとだけヒッピー風な若いカップルが近づいてきて「一緒にビールでも飲まないか?」と同じベンチに座り込んだのだ。そのころ、北欧では別にアルコールは禁止されてはいなかったが、外で飲むのは御法度のようだった。僕たちは紙袋でビール瓶を隠しながら、川海老のから揚げのようなものと一緒にビールを流し込んでいた。やがてカップルは「おまえはきょうはどこに泊まるんだ?もし決めてなかったら俺たちのところへ来ないか?」と言う。僕はきょうのホテルはまだ決めてないし、北欧の物価の高さにはついて行けない気分だったので、渡りに船とはこのことだい!と英語で答え(嘘です)、彼らの後をついて行くことになったのだ。

 郊外電車に乗って小一時間、けっこう遠くまで行くんだなと思いながらも、もうしょうがない。小さな駅で降りるとどのくらい歩いただろう、森の中の団地のような一角に着いたのだった。3階建ての3階だったと思う。ヒッピー風のふたりはさあ入れというようにドアを開けた。

 その部屋はヒッピー風のふたりの部屋ではないようだった、そこには別のカップルが仲良さそうに待っていたのだ。挨拶もそこそこに質素な宴会は始まった。ビールとワインとチーズだけのささやかな宴会だ。流れている音楽はもちろんビートルズのホワイトアルバムのたしか1枚目の方だった。そのころ僕が大好きだった「マーサ・マイ・ディア」がかかっていたのでよく覚えている。

部屋の住人らしいカップルはまだ20代前半の美男美女で、ふたりとも細面の優美な顔立ちだった。しばらくそんな風に暖かい雰囲気でくつろいでいたのだが、そのうち一緒に俺たちのところへ来ないかと言っていたはじめの二人のカップルはどこかへ消えてしまい、僕は新しい美男美女のカップルの中にとり残されてしまったのだ。ま、しょうがない、これが旅というものさ。僕は流暢なブロークンイングリッシュで日本から来たことやこれまでの旅のことなどを話したり、日本から持ってきた紙風船でメルヘン的に!遊んでいたりした。

 そのとき、突然、ドアを蹴破るようなけたたましい音とともに恐ろしい形相のヘルスエンジェルスのような荒くれ男がふたり飛び込んできたのだった。2メートルはあろうかと思うような長髪振り乱しの大男とチビだが完全に切れかかったような挙動不審のチンピラ男である。この状況では決してあってはならない凸凹コンビの登場だ。僕はまた「なんじゃこりゃあ!?」と思ったかどうか、とにかくあっけにとられ、これから何が起こるのか不安の縁に立って黙って彼らを見るしかないのだった。

 2メートル大の大男とチビの荒くれ男はまずは日本のメルヘン的紙風船を無慈悲にも足でペシャンコに踏みつけると、かかっていたビートルズのホワイトルバムのたしか2枚目の方を鷲掴みにするや、これがUFOだとばかりに窓の外に激しく放り投るのだった。世界中でUFOになったホワイトアルバムはこの1枚だけだろうと僕は冷静に分析したかどうかはっきりしないが、ああ、僕にできることはあきらめることしかなかった。七月の星祭りの夕べを過ごすはずの北欧のストックホルム郊外の瀟洒なアパートで、僕はこの凸凹のヘルスエンジェルスによって地獄へ突き落とされるのだ。なんと哀れな25歳なんだろう。

 それでも、凸凹ヘルスエンジェルスのふたりも少しは落ち着きを取り戻したのか冷蔵庫から勝手にビールを取り出しては一気に飲み干し、チーズにむしゃぶりつくのだった。だが、そのうちよくわからない事態が進行し始めた。まず、そのアパートの住人であるはずの美男のやさ男が音もなくその部屋から退散し、やがて永遠に切れたまま荒れ狂っていると思われたチビのチンピラもなぜか部屋から出ていって帰らぬ人となってしまったのだ。

 その部屋に残ったのはやさしい顔立ちの美女と2メートル大の長髪ヘルスエンジェルスとそして日本から来た当時詩人の卵!であったこの僕の3人ということになった。

 結論からいうと実はこの部屋の住人は2メートル大のヘルスエンジェルスと細面のやさしい美女だったのだ。彼らこそがこの部屋の住人、つまり日々愛を語り合い睦み合うべきカップルだったのだ。「なんじゃこりゃあ?!」当時頭のよかった僕はことの次第を読み取るのにそれほどの時間を要しなかったのだが、さてこれから事態はどういう展開を見せるのか?

 いや、これからは何というか実に不思議な具合になっていったのであって、僕たち3人はなぜか静かに語り合い美女が作ってくれたおいしいスープとワインで夜が更けるまでいろいろなことを語り合ったのだ。要するにさっきまで恋人同士だとばかり思っていた美男美女のカップルはカップルではなく、やさ男の美男も2メートル大の大男もキレまくりのチンピラもほかの登場人物もみな友達なのだが、ちょっとした恋愛関係のほころびかさやあてか、まあ、大男とチンピラの虫のいどころがきわめて悪い状態のところにたまたま僕が居合わせてしまったということなのだろう。それにしてもアングロサクソンだかベーリング海のヴァイキングだか知らないが気性が荒すぎますな。それにUFOになったビートルズのホワイトアルバムはいったいどうなってしまったのか。

 この2メートル大の大男、実はとても心根のやさしい男でさっきまでの傍若無人ぶりはすっかり影を潜め、低く慰めに満ちた声で「おまえの名前ショーキチはスウェーデンではシェイマスだとなぜか言い張り、さっきのことは忘れてくれと手を握るのだった。いや、忘れるわけにはいかないから30年も経った今日のこの日にこんなところに書いているのですと僕はキミに言いたいよ、まったく。

 2メートル大の大男が作ってくれたベッドで深い眠りに落ちた僕は今日の日のことを夢の中で何度も反芻していたような気がするのだが、翌朝目が覚めて窓の外を見ると降り出した小雨のなかをこの部屋の主である大男が傘もささず、しかも裸足で団地内のマーケットに買い物に行く姿が見えた。そして、牛乳や卵、パンなどの入った紙袋を抱えて帰って来た男はその汚れた裸足のまま、暖かい珈琲とトースト、それに器用にオムレツまで作ってくれたのだった。3人で静かに囲んだその朝食は生涯で最も印象にのこる朝ごはんだったといえるかも知れない。不思議な人類に会ったなあ、と僕は心底思ったものだった。

 僕のことをシェイマスと呼んだこの大男の名前を僕は聞きそびれてしまったし、もちろん郊外電車の駅の名前も覚えていない。ただ、この奇妙な一日のことだけはやけに明瞭に覚えているのである。あのふたりのヘルスエンジェルスももう50代半ばの中年男になっているだろう。今頃どこで何をしているのかなあ、死んでいなければこの地球の上でわりと平凡に暮らしているのではないだろうか。そんな気がする2005年秋のひとときであった。

(まただらだらと書いてしまった。未熟なり。)
by kuukuu_minami | 2006-04-07 13:58


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