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「桃の子供」のこと
1992年の春に南椌椌というおかしな名前で絵を描きはじめた。

その2年前から始めていた吉祥寺のレストラン「諸国空想料理店KuuKuu」の名前を背負って、店も絵もいっしょくたにがんばろう!という決意表明のような命名だった。椌という字は漢和辞典でたまたま見つけたものだ。植物の名前ではなく木のなかが空洞になっている打楽器のことらしい。古代聖人が好んだ六箇の楽器のうちのひとつだという。南椌椌に変身してしばらくの後、「寺の小僧が椌(kong)という楽器を椌椌(kongkong)とたたいて経を読む」というような例文が中国の古典『礼記』にあることをと教えてくれたのは東洋医学の研究家の岩井佑泉先生だった。してみれば木魚のようなものも椌なのか?『礼記』に椌椌と椌の字がふたつ並んだ記述があるという岩井先生の教示は僕には嬉しいものだった。由来はともかくこの字との出会いがその後の僕の創作活動をゆるやかに支えてくれたのは間違いない。

それから数年間、がむしゃらに描いていたのが「桃の子供」というテーマのガラス絵だった。いたずら書きのように幾人ものこどもの額に桃を描いたのがきっかけなのだが、この墨で描いたらくがきを見て、桃という果物が古代の中国から東アジアにかけて神仙の木、生命の象徴とされ、畏敬をもって遇されてきたということを教えてくれたのも岩井先生だった。春の陽気をもっとも早く察知して芽吹き花咲かせる樹、それは神と人とのあいだに立って生命そのものような果実を結ぶ樹とさえ考えられていたという。捜してみれば、中国や朝鮮の古い文物に桃の図像をあしらったものがいかに多いか驚かされるだろう。そうだそれにあやかろう!次第に僕の創作も桃を抜きには考えられなくなっていった。

ガラス絵ばかりかテラコッタの作品にまで桃は手を変え品を変え、いや品は変わらず桃ひと筋なのですが、子供があたまに桃をのせている、桃をかかえている、ひたいに桃が浮き出ている、天から桃が降って来る、桃どろぼうがいる、猫や鳥が桃をはこぶ・・・・・。桃が描かれていなくとも僕の作品の多くは桃のイメージを造形したもののようになっていった。それほど桃という果実は僕のものつくりの中心に居座ってしまったのだ。

そして1994年のクリスマスには架空社という出版社からガラス絵による『桃の子供』という画文集まで出していただくことになった。自分にとっては初めてのカラー版の作品集だった。そんな意味でも愛着のある一冊だが、この本の末尾に桃についてこのように書いた。

桃というくだものは やわらかい/桃というくだものは まるい/桃というくだものはももいろだ/桃というくだものは こわれやすい/桃というくだものは みずみずしい/桃というくだものは たねがかたい/桃というくだものは いのちににている

作者による決して上手ではない作品解説のようであり、なんだ当たりまえのことばかりじゃないかと思える内容だが、当時も今も「なぜ桃なの?」と訊かれることがあまりに多いので、ここに注釈の弁を記す次第です。悪しからず。

テラコッタの場合はとくに粘土と水のバランスがほどよく手のひらで融合する時、なぜか桃というくだものの瑞々しさを感じてしまうのだ。テラコッタ像制作のラストに、一本の竹串で「すべての顔にほほ笑みを」と念じながら、最愛の表情を刻む時には、先に引用した桃のイメージそのままに竹串に思いをこめているのだと言えると思う。

これからも、僕は肩の力をぬいてテラコッタによる「桃の子供」をひねり出すことをやめないだろう。
「桃の子供」のこと_f0067255_1595349.jpg

by kuukuu_minami | 2006-04-07 13:59


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