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どこへ ?
昨年の6月から毎週水曜日に通っている東村山福祉園のことは何度か紹介して来ましたが、きょうはF君特集でございます。

東村山福祉園は重度の自閉症、知的障害の人たちが共同生活をする児童福祉施設です。およそ160人の利用者がいますが、その多くは児童ではなく学齢期を過ぎた20歳以上の成人です。

月桃の絵画教室には40名ほどが登録していて2時間のあいだに短い子で15分長い子だと2時間、それぞれの仕方で絵を描いています。

たどたどしくもコミュニケーションのとれる子はふたり、その他の子とは殆ど勢いと直感でやりとりします。

F君は自閉症の21才のイケメン男子、背が高くいつもカッターシャツの一番上のボタンまできっちりはめています。
言葉でコミュニケーションはとれませんが、ごく稀に小さく可愛い声で発語してくれます。この前はあまりしつこく月桃がそばでかわいい!とかすごい!とか言うのでそっと「あっちいけば・・・」と言ってくれました。うれしかったなあ!

F君は絵も描きますが、文字を書くのが大好きで、意味はよく通らないけどスコブル詩的な文章で400字詰めの原稿用紙を一気に埋めてしまうほどの力があります。

でも、きょう紹介するのは詩人としてのF君ではなく書家としてのF君です。

去年11月に吉祥寺キチム内ギャラリーSTONEで開いた「ふくしえん からんどりえ展」に来ていただいた方はご覧になったと思います。販売したカレンダーの文字はすべてF君の書いたものでした。(くうくうカレンダーも)
F君の書は本当に素晴らしく世界中どこに出しても立派に喝采を受けるだろうほどに自由でゆたかな芸術性に溢れています。

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「どこへ」
これを見たときには驚喜しました。
青い絵の造形と上に添えられた「どこへ」の文字がまさに詩そのものように思えたのです。むかし大好きだった立原道造の詩「何処へ」を思い出したのは言うまでもありません。

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「もものひとくうくうかめさん」
F君にリクエストしたのは「もものひとくうくう」という文字でしたが、なぜかF君はくうくうのあとに「かめさん」と付け加えました。
くうくうがかめさんだって知っていたとしか思えません。

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「しっぽ これも おしり それも」
これは2月9日、今日の作品です。
なんというお言葉!あまりにも含蓄がありすぎて目眩がしてしまいます。
F君、キミはなにを考えているのか?
どこ吹く風の美しい風貌のどこにしっぽとおしりを隠しているのか、教えてください!
# by kuukuu_minami | 2011-02-09 23:11
インド〜ネパール 最後のロケ
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1月12日から26日までインド〜ネパールに行ってました。
一昨年から関わっているチベット難民の少年を追うドキュメンタリー映画のロケ。
主人公オロの他、岩佐監督、津村カメラマン、代島プロデューサー、ツェワン通訳、田嶋アシスタント、月桃ボランチと総勢7人のクルーでした。

前半は濃霧と大雪、事故渋滞で予定が大幅に狂う事態になり、ちょっと疲れましたが、インドの旅ではままあること、それほど気にはなりませんでした。15時間〜18時間4日連続車中にいても、その時間の長さを逆に楽しむ術も心得ましたよ。
真夜中というか早朝インドの田舎町に着いて小汚いというか大汚いホテルに一部屋4人突っ込まれてもまあ少しは眠れたわけです。

これまでチベット亡命政権の町インド・ダラムサラで主人公オロと彼をめぐるチベット難民の世界を撮っていたわけですが、今回のロケではダラムサラから外に出てネパール・ポカラ近郊のチベット難民キャンプ、ターシーパルケルまで移動しました。
ターシーパルケルは岩佐監督が10年前に撮った映画「モゥモチェンガ」の主人公・満月ばあさんことモゥモチェンガが住む古いチベタンキャンプです。
1959年ダライ・ラマ法王がチベットからインドに亡命して以来10数万人のチベット人がヒマラヤを超えてネパール、インドに亡命して来ましたが、モゥモチェンガも法王の亡命直後に後を追うようにしてヒマラヤを越えたひとりです。

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岩佐監督の前作の主人公であるモゥモチェンガと新作の主人公オロとを出合わせるというのは、当初はなかった構想ですが(実はぼくは最初から提案してましたが・・・)これまで撮ってきたフィルムの編集過程での行き詰まりを修正打開するために監督自らが決断した上での展開でした。

月桃はちょうど一年前の2月に今回の逆コースをたどっていました。
冬休みにカトマンズの叔父さんの家に帰っていたオロを通訳のツェワンとダラムサラまで引率するというもので、この長旅のおおよそは理解していました

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2週間の旅のこまごまとしたことは映画のネタバレにもなってしまうので控えますが、たしかに前半はハードな日々でしたが、ターシーパルケルに着いてからのロケは愉しく充実していたと思います。

インドと違ってネパールではなぜか気持ちがとても楽ちんで、人もやさしく子どもの笑顔もとびきりで、月桃なんぞはすっかりネパール贔屓になってしまったほどです。

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今回のロケで撮影はクランクアップ、あとは最終段階に向けて翻訳・編集作業がはじまるわけです。
編集の実務作業は代島プロデューサーと監督が長時間かけて切り貼りしてゆくのを時々ボランチ月桃が茶々入れて混乱させる?という繰り返しで完成に向かう段取りです。


たぶん連休ころまでに編集完了、その後試写と封切り公開に向けての作業がはじまるものと思います。

進捗状況に関しては随時ブログにアップしてゆくつもりですので引き続きご支援のほどよろしくお願いいたします。

写真は上から

ちょっと成長したオロ、やっぱり可愛い!
持参したダライ・ラマ法王の写真集を見るオロとモゥモチェンガと監督
ポカラへ向かう途中の村で、ネパールのガキンチョ、う〜ん可愛い!
ジャンバリンというチベットキャンプで「前髪みじか協会」チベット支部の女の子、メチャ可愛い!
ターシーパルケルの子供たち、「また会いましょう!」何度も歌ってくれました。
ジャンバリンの長い石段で出会ったネパール美人(うっとり・・・)
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# by kuukuu_minami | 2011-02-04 14:22
豪華詰め合わせ!
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久しぶりの日記です。

住所のわかる方にはお送りいたしましたダイレクトメール豪華?詰め合わせでございます。

(以下ほとんど同文で失礼いたします)

香しかった金木犀の薫りもいまやいずこ、季節は足早に移ろっていきますね。
みなさまお元気でしょうか?

さて、ワタクシこと南椌椌の個展案内、
妻・山田せつ子のダンス公演案内、
この6月から講師をしている東京都東村山福祉園の子たちの展覧会案内、
これもいま関わっているチベットの少年を描いたドキュメンタリー映画の案内、
そして、メキシコ在住37年の畏友!である彫銀師・竹田邦夫の新作展の案内、
豪華ご案内詰め合わせをお送りさせていただきます。

いつもいつも、なにやかやとイベントのお知らせなどでお騒がせしておりますが、
どうぞ、ゴミ箱にポイなどせずに、お時間のあるかぎりお付き合いいただければありがたき幸せでございます。

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山田せつ子公演『薔薇色の服で』は10月8日の京都公演を見て来ましたが、8年ぶりのソロ公演だけあって、ダンスの充実度は素晴らしいものがありました。身びいきの謗りは逃れられないとしても、たぶん味わい深いダンスの時間を体験できるのではないでしょうか? ご高覧のほどぜひぜひお願いいたします。
12月3,4,5日東京・吉祥寺シアターにて。
チケット予約お問い合わせは、魁文社(KAIBUNSHA)03−3275−0220まで。(月桃あてにメッセージいただければお取り置きいたします)

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東村山福祉園の子たちの展覧会「からんどりえてん」もきっとみなさま感嘆の声を挙げてくださると思います。週に一度だけですが、アトリエを共にして彼らの手から魔法のように生み出される作品の誕生に大きな喜びを感じています。
「からんどりえ」と題された3種類の特製のカレンダーはとても美しいものになりました。お買い求めいただけたら幸甚であります。
11月23日〜28日、吉祥寺ギャラリーSTONEにて。電話 0422-27-2958
「STONE」は7年前まで月桃99%が経営していた「諸国空想料理店KuuKuu」の跡地に「クラムボン」の原田郁子さんが開いてくれたカフェ&多目的スペース「キチム」のなかのギャラリーです。

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恵比寿の椌椌展はそれはもうみなさまご承知の如くでございます。いつもながらのガラス絵とテラコッタの新作にこれが意外にいいかもの酒器セットや、「からんどりえてん」に触発されて作った(これから作る)カレンダーがまたいいのです!(予定)
11月9日から14日まで東京・恵比寿の「ギャラリーMalle」にて。みなさんぶらっと遊びに来てくだしゃんせ。電話 03-5475-5054

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「チベットの少年 オロ」についてはすでにご存知の方も多いかと思います。重ねてのご案内になるかもしれませんが、製作資金のカンパも多数の方からいただきました。ありがとうございます。映画はいよいよ編集も佳境にさしかかり、来春の完成に向けてスタッフ一同、目立たぬ程度に鼻息を荒げているところです。今後ともご支援のほどよろしくお願いいたします。
http://www.tibetnoshonen.com

みなさま、「芸術の秋」かも知れないこの季節です。
どうぞどうぞ、よろしくお願いいたします。
# by kuukuu_minami | 2010-10-31 00:45
ソウル個展、大野一雄先生のことなど
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5月18日から一週間だけソウルに行ってました。
前の日記にお知らせした通り、6年振りの個展があったのです

楽しかったです!
たくさんの人が来てくれました
毎晩友人たちと
よく飲みました
よく食べました
よく笑いました
学生時代の最低の友人が一緒だったこともあり
会話は落ちるところまで落ちましたが
ソウルの女の子たちは度量が広い!
ありがたいことに作品もかなり売れましたでございます

帰ってきて
伸び放題だった庭の手入れをして
どくだみを沢山摘んで日干しして
どくだみ茶をつくりました。

6月から週1回だけ
近郊の知的障害の人たちの施設で
いっしょに絵を描くことになり
2日、最初の教室があり
かなり重度の人たちなのですが
誤解を恐れず云えば「おもしろい!かわいい!」
とりあえず来年3月までやります
都の施設なので「辞令」というのがありました
キミヲカクカクシカジカヒジョウキンコウシトシテムニャムニャ
就職もしたことがないので60歳寸前ではじめてのこと
「はははー45度の礼、かしこまって候・・・」

舞踏の大野一雄先生が103歳で亡くなりました
よく生まれて長く生きてくださいました
きのう、横浜上星川のご自宅の稽古場を訪ねました
柩のなかの先生は
それはそれは美しかった!
もともと生も死も一瞬に往還するような舞踏家でしたが
柩のなかの先生に死の匂いは微塵もなかったですよ
1㎜くらい薄く開いた真一文字の口と
半眼微笑よりもさらに永劫に近い表情を浮かべたかんばせ
たった今ダンスの動きをほんの少しだけ止めたような
静と動の絶妙な均衡・・・

1993年、なぜか僕がひとりでプロデュースした
ソウルの日本舞踏フェスティバルにも息子さんの慶人さんとともに
2作品をもって参加してくださいました。
当時86歳だった先生とゆっくりソウルの街を歩いたことが思い出されます
先生のご冥福をお祈りいたします

そして、もうすぐ南アフリカでサッカー・ワールドカップが始まります
きょう、日本はコートジボワールと開催前最後の親善マッチがありました

なにもなかった試合でした。
それでも14日19日24日はTVの前でビール飲みながら叫んでいるでしょう!

追伸
追伸で書くようなことではないけど、民主党の代表に菅直人さんが選ばれました。
まだ決まったわけじゃないけど、仕訳作業で辣腕を振るう枝野さんが幹事長?
どうか、沖縄だけでなく日本国内の米軍基地についての徹底的な仕訳作業を望みたいですね。

写真上
個展オープニングで料理家の友人が作ってくれた
蓮の花を浮かべたお茶
写真中
会場の入り口、右の壁の絵は昔の「朝鮮詩集」から
好きな詩を和紙に墨絵で描いたもの
写真下
今回の個展ではソウル在住の弟が
何点か額縁を作ってくれました
昔ちょっと木工をやっていたことあるのです
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# by kuukuu_minami | 2010-06-05 15:46
『絵本の子どもたち』
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絵本の子どもたち

水声社から『絵本の子どもたち 14人の絵本作家の世界』という本が刊行されました。著者は寺村摩耶子さん。

この本を紹介するのはちょっと気後れする部分もあります、というのも
この14人のなかにワタクシこと南椌椌も入っているからです。
片山健、長新太、スズキコージ、井上洋介、宇野亜喜良、荒井良二、木葉井悦子・・・とまさに現代の絵本世界を代表する作家たちのなかに加えていただいたのは嬉しい限りなのですが、絵本作家というには余りに作品も少ないし、日頃絵本のことをほとんど忘れて遊んでいる身でありますので・・・ちょっと気恥ずかしいのが本音なんです。でも寺村摩耶子さん、ありがとう!これからちゃんと頑張ります!

13人の作家たちの多くの方々は実際に面識があり、とくにスズキコージ、荒井良二、沢田としき(つい最近亡くなりました)は親しい友人であり、何度となく飲んで遊んだものです。片山健さんは古くからお付き合いさせていただいている敬愛する絵描きさんです。吉祥寺でKuuKuuを経営していた頃には井上洋介さん、たむらしげるさん、宇野亜喜良さん、飯野和好さん、酒井駒子さんとも何度もお会いしたことがあります。亡くなった長新太さん木葉井悦子さんは作品、お人柄ともに大好きな作家でした。谷川晃一さん、島田ゆかさんは作品を通してのみ知る作家です。

ここで寺村さんが書いた14人の作家論すべてについて紹介することもできませんが、いくつかの素敵なフレーズを引用しながらこの本の魅力の一端でも伝えられらたら嬉しいです。

絵本作家論というのは殆ど読んだことがないので、比較はできませんが、『絵本の子どもたち』は絵本作家論という限定をつけないでも極めて魅力的な評論集だと思います。

それは、寺村摩耶子さんのアートに対する柔軟かつ広範な感受性と、愛情ある繊細な文章力によるものだと思います。
各作家の初期の作品から最近の作品まで通底するそれぞれの作家性をやんわりと押さえながら個々の作品の魅力について語る語り口はとても清々しいものがあります。それは彼女が本当に絵本が好きで、絵本によっていかに慰められているかという個人的事情がまず存在するからでしょう。

僕も読んだことのある多くの絵本が語られますが、しばしば「おお、そうなんだよね!」と膝をたたいて頷くことがありました。

日本の絵本の世界でだれもがまず思い浮かべる作家は長新太さんではないかと思いますが、寺村さんの長新太論はとても新鮮かつ深い読みによって、一見ナンセンスなユーモアにあふれた長新太さんの絵本の世界の深部を照射してくれます。

1993年だったと思いますが、僕は一度だけ長新太さんのお宅を訪ねたことがありました。トムズボックスの土井章史さんといっしょでした。
長さんのアトリエは居間と兼用だったような記憶がありますが確かではありません。ただ、大きな作業机の後ろの本棚がとても魅力的な風情だったのをよく覚えています。どんな本が並んでいたのか、じっと眺めたわけではありませんが、本好きには本棚の醸し出す風情だけでなんとなくその書棚の持ち主の趣向がわかるものなんです。その時感じたのは、長さんの読書の趣味がとても洗練されていて新しい文学や芸術の思潮にも柔軟な思考をお持ちのようだな、ということでした。たしか永井荷風の『断腸亭日乗』全集が左上の棚に並んでいたと思うのですが、それからして「さすが長さん!」と思わずにはいられませんでした。それからアメリカの現代美術の作家たち、ニューペインティング系の画集もさりげなく置かれていたように思います。

なぜこんなことを書くかといえば、寺村摩耶子さんの長さんについての記述を読んでいると、もう17年も前の長さんのお部屋の本棚の風景があざやかに甦ってくるからなんです。

寺村さんは長新太さんの絵本の魅力を、たとえばアメリカの現代美術の作家、マーク・ロスコ、フランスのシュール・レアリスト、アンドレ・ブルトン、ハンス・アルプ、種村季弘などを挙げながら解き明かしてゆきます。

2002年に寺村さんが長さんにインタビューした時のことが語られていますが、そこで長さんは絵本に頻出する「地平線」のことをこう語ったそうです。
「そういうところが生理的に好きだから。制作するときに自分の好きなものだけをやるという意識があってね。だから水平線を描いたり、地平線を描いたり。いつも、そこからじゃないと出てこない・・・」

そして後段、引用している種村季弘のナンセンス論の一節は
「子供、詩人、狂人、原始人に通有の、この方向(センス)の倒錯こそはナンセンスの基本的な構造なのである。個人的な体験に照らすには幼年時の追憶に頼るがいい。狂人にも詩人にもならなかったにしても、だれしも一度は、あの方向(センス)の無秩序が支配した子供部屋だけは通ってきただろうからである」種村季弘『ナンセンス詩人の肖像』

これに続けて寺村さんはこう結んでいます。
「生理的な心地よさ」をたいせつにしながら、あたかも目に見えない深い土の下をどんどん掘り進むことによって、長新太は「子どもの王国」をゆたかにひろげてきた。子どもと大人を超えた「土中」における「宇宙」のごとく、そこには底知れぬ世界がひろがっている。

長新太という作家の本質を見事に言い当てていることがわかると思います。

長さんばかりではなく、14人の作家それぞれに対する評言のたしかさ、愛の深さ?にはしばしば驚かされました。

引用が長くなりますが、何人かの作家についての寺村さんらしい文章を引用しておきます。実際の絵本を手にとってみないとわかりにくいかも知れませんが、寺村摩耶子という絵本の読み手から手渡される愛情あふれるメッセージとして読んでいただければと思います。


「そうだ、これこそは真の子どもの姿だった。積み木の山を破壊する子ども。土でも石でも何でもおかまいなしに口の中へ入れてしまう子ども。本能のおもむくままに行動する、自然そのものの純粋な子ども。(中略)『どんどん どんどん』に描かれているのは、そんな子どもという生き物の爆発するようなよろこびである。破壊と創造を同時にやってのける、小さな神のような子ども。「あるひ」はじめて歩きはじめた子どもの生の衝動をとおして、片山健は、原初の生命のよろこびを、水や土、風、火の混沌と一体になった世界のはじまりのなかに描きだしたのだった。」(「片山健 やってきた子ども」より)

「横判の表紙に敷かれた白い線路は、見返しを通って、絵本一冊まるごと横断し、裏表紙からまた表紙へと永遠につづいている。(中略)「ガガガガ ガッタン ガッタン」「ゴットン ゴットン ガッタン ガッタン」・・・・ことばはいっさいなく、きこえてくるのはただ心地よくゆれる列車のひびきばかり。小さな駅にとまるたび、車両はすこしずつのびて、仲間もふえてゆく。一方、旅はいよいよ峠にさしかかり、赤や緑の山肌がみえるおそろしい道、火山口から白いけむりがのぼる、この世の果てのような荒野を通りすぎても、乗客たちはうっとり列車にゆられている。もはやことばをかわす必要のないほどみちたりているかのように、国境も標識も、此岸と彼岸の境界もなく、あらゆる生き物たちの種も、時と場所も超えた世界、ことばが生まれる前の、はるか昔、私たちがそこからやってきた、なつかしい世界への旅。(「スズキコージ 大千世界の魔法画家」より)

「『たいようオルガン』のサイン会のとき、小学三年生くらいの男の子が絵本を指さして、「下書きの線は消した方がいいよ」と言ったという。それを聞いて、心のなかで喝采をあげたという荒井良二。それは察するに、作家のなかの子どもがついに現実の子どもに勝った(?)ことを、ほかならぬ現役の子どもに認められたということか。たしかに、「子どもが描いた絵」と「子どもが描いたようにみえる絵」はよく似ている。だが、あえてそのふたつを比べてみるならば、子どもの絵は、無意識そのものであるがゆえに美しい。そして、「子どもが描いたような絵」は、大人のなかのアートの衝動がひとつになっているからこそ美しい。(中略)「宿敵は大人の自分」と言い、「かつて自分も子どものころに持っていた、絵を描く前の、気持ちの高まりのようなもの」「子どもの衝動」をもって描きたいとう画家。「自分がよろこぶもの、自分にとって新しいと思うものを描く」という荒井良二にとっても、内なる子どもこそは生命の源泉であるにちがいない。(「荒井良二 日常の旅人」より)

「山羊のいのち。人間のいのち。地球のいのち。食べ物のいのち・・・・。これまでもさまざまな「いのち」の物語を描いてきた沢田としきの絵本のなかでも、『ピリカ、おかあさんへの旅』は、もっともドラマティックな作品である。主人公はピリカという一匹のサケの女の子。川で生まれたサケが海に下って大きくなり、ふたたび生まれた川に遡上して産卵したのち一生を終えて死ぬというサケの一生が、ピリカのまなざしで描かれていく。海で暮らしていた彼女が、あるとき自分が生まれたばかりの時のことを夢に見て「おかあさん」の存在を思い出し、やがて遠いどこかからきこえてくる「よびごえ」にむかって泳ぎだす。群れをなして進んでいくピリカたちに迫る、さまざまな危険。恐怖とのたたかい。そして海の果てにようやくたどりついた「なつかしい匂いのする水」。そこからさらにはじまる、とほうもない旅。(中略)ページをめくりながら、ピリカとともに私たちは水のなかを旅する。川から海へ、そしてまた川へ。それは地球をめぐる生命の神秘を体感することにもひとしい。(「沢田としき リアルであること」より)

★沢田としきは2010年4月27日、一年に及ぶきびしい闘病を終えて、さらに大きな生命のふところ、「とほうもない旅」へと旅立って行きました。亡くなるふつか前に病院に見舞ったとき寺村さんの『絵本の子どもたち』がベッドから見える棚に置いてあるのが眼にはいりました。沢田としきにとっては嬉しい手向けの一冊になったのだろうと思います。

「内なる呼び声につき動かされるまま、ひたすら手を動かすという、その過程こそが重要であり必要であったかのような「内奥への旅」、無意識の世界への冒険。まるで、その行為をとおして、主観から客観へとひらかれていくシュルレアリスムの「オートマティスム」を思わせる体験。木葉井悦子が心を寄せていたという、唯識系仏教の仏典では阿羅耶識と呼ばれる、無意識の底の底、みずからの<内的宇宙>ともいうべき底知れぬひろがり。動物と植物と鉱物の差異も、生と死の境界ももはや存在しない、もうひとつの宇宙。そのようなひろがりにむかって、木葉井悦子ははてしない旅をつづけた。
 この危険と魅惑にみちた旅から帰ってきたとき、あたかも宇宙の胎内をくぐりぬけたかのように、画家のからだのなかから、何かがポンと飛び出したのかもしれない。彼女自身の宇宙から生まれた卵のようなものが。(「木葉井悦子 生命の祝祭」より)

★木葉井さんが病に倒れ入院しているときのこと、病院から電話がかかり、「ねえ、絵の道具、少しでいいから揃えて持って来てくれない?」と頼まれました。
画材店で岩絵の具やスケッチブック、絵筆などを揃えて埼玉・戸田の病室まで持って行きました。手術のあとの再入院でずいぶん痩せておられましたが、「絵の具がないとさびしくてね」と言いながらベッドの上に画材を並べてじっと眺めていました。その場で何かを描いたわけではありませんが、かなり長いあいだ画材を手にしたりじっと眺めたりしておりました。そのうち、「もう夕方ね、遅くなるから帰っていいわよ、私はもう少し絵の具を見ていたいの・・・」と言って僕を送ってくれました。それが木葉井さんとのお別れになってしまいましたが、最後にベッドの上の画材をじっと見ているだけで慰められているかのような木葉井さんに深く感動したのを覚えています。
寺村さんが書いているとおり、「内なる呼び声につき動かされるまま、ひたすら手を動かすという、その過程こそが重要であり必要であった」のだと思います。

さて、長くなりましたがあとはぜひ実際に手にとってお読みください。絵本というジャンルがいかに深い魅力に富んでいるかおわかりいただけると思います。
そして、ワタクシこと南椌椌に対してもすこしは敬意の感情というものを持っていただけるのでないでしょうか?(現実はそんなに甘くない?はっ、そうでした、がんばります)

この『絵本の子どもたち』全体を通して言えることは、寺村さんの瑞々しい詩的な感受性によって絵本というジャンルがこれまでなかったような新しい光に照らし出されたということだと思います。
# by kuukuu_minami | 2010-05-16 22:55